明治32年の火事について考える。

  • 明治32年の火事について考える。
この火事は4月28日免許町の材木店から出火、今町、東寺町を焼き払い橋を越え上花沢に移り、佐氏泉停車場(=開業前の米沢駅)も燃えたことになっています、29日の米澤新聞では。

5月2日の新聞では、駅が焼けたことは書かれていません。多分焼けなかったのでしょう。
全焼336戸、半焼1戸、小屋籾倉等499戸、土蔵3棟焼失、寺院は桶屋町大正寺、東寺町竜泉時、西生寺、観音寺、免許町海王院、大日堂、観音堂、太子堂、信濃町大日堂、久保町虚空蔵堂など、と書かれてあります。
随分焼けたものです。

大正6年、8年の大火は今もよく語られますが、このときの火事はちょっと実態が摑めません。
私の曽祖父の七郎という人が近火見舞御礼を新聞に出しています。

丁度このとき粡町では上杉神社祭礼の呼び物として、花魁行列をやっています。
そして5月15日に待望の奥羽線福島-米沢間が開通します。

そして、この年の開通した米沢-赤湯間の鉄道馬車の写真を探しています。
何かそれらしい古い写真をお持ちの方、ご一報を豆いちまで。
写真は入間馬車鉄道のレプリカです。こんな感じのものが米沢の路上を走っていたものと思われます。
2010.07.05:mameichi:[線路は続くよ果てまでも。]

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