声優の年齢順に書いてみました。
舟(84歳)、波平(79歳)年上女房だったんですね。
中島君(75歳)、マスオ(74歳)、サザエ(71歳)、イクラ(70歳)
ここまでが70代です。
タラオ(69歳)、花沢さん(67歳)、タイコ(61歳)
ここまでが60代です。
ノリスケ(50歳)、ワカメ(45歳)、カツオ(44歳)、浮江(37歳)
勿論若きスタッフも大勢おいででしょうが、実際大先輩が作るこの世界が毎回視聴率1位というのが重いです。
写真は最近全色揃った野田琺瑯のポットです。
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従三位 上杉曦山公之碑
曦山公とは上杉家十三代斉憲の号、文政3年(1820年)5月15日生、天宝10年4月家督、戊辰戦の責により明治元年12月隠居、明治22年5月20日東京にて逝去享年70歳
その間ペリー来航、尊王攘夷、奥羽越列藩同盟、明治維新、版籍奉還と波乱万丈の時代を逞しく生きられ、明治以降の諸功績により従三位に任ぜられる
明治24年公を慕う旧藩士によりこの碑が建立された
題字は陸軍大将有栖川宮熾仁親王の書
石碑裏の文は伯爵勝安房(海舟)の撰による
と碑のそばの説明文にあります。
火曜日までポポロで書道展が行われ、宮島詠士特別展も併催されていましたが、多分この石碑は詠士の父、宮島誠一郎が深く関わっていることと思います。
幕末の米沢藩ではひとり雲井龍雄に人気が集中しがちですが、勝海舟とのコネから米沢海軍と呼ばれる道筋を作ったこと、興亜会設立により亜細亜思想の根底を創ったことなど、非常に重要な人物です。
従三位を獲得(?)したのも彼の功績と思われます。
なお上杉家は4代藩主上杉綱憲より現在に至るまで、吉良義央の子孫ということになります。
その間ペリー来航、尊王攘夷、奥羽越列藩同盟、明治維新、版籍奉還と波乱万丈の時代を逞しく生きられ、明治以降の諸功績により従三位に任ぜられる
明治24年公を慕う旧藩士によりこの碑が建立された
題字は陸軍大将有栖川宮熾仁親王の書
石碑裏の文は伯爵勝安房(海舟)の撰による
と碑のそばの説明文にあります。
火曜日までポポロで書道展が行われ、宮島詠士特別展も併催されていましたが、多分この石碑は詠士の父、宮島誠一郎が深く関わっていることと思います。
幕末の米沢藩ではひとり雲井龍雄に人気が集中しがちですが、勝海舟とのコネから米沢海軍と呼ばれる道筋を作ったこと、興亜会設立により亜細亜思想の根底を創ったことなど、非常に重要な人物です。
従三位を獲得(?)したのも彼の功績と思われます。
なお上杉家は4代藩主上杉綱憲より現在に至るまで、吉良義央の子孫ということになります。
2010.11.17:mameichi:コメント(4):[米沢城下に江戸を訪ねる]
特に「ど根性云々」ではない。
道端にはいろいろなものが落ちているものでございます。
ここで紹介したものでも、肉まんだかあんまんというのと、5千円札というのがありました。
今回はこれです。
葱といえば、葱鮪(ねぎま)の殿様という落語があります。
目黒のさんまと同じパターンですが、こっちの方はそれほどポピュラーではなく、私が知っているのはおばあさんの今輔といわれた古今亭今輔師匠のやつです。
あるお殿様、向島の雪見に行こうとしたところ上野広小路の煮売り屋(居酒屋)に引っかかり、ねぎまで一杯と相成ります。
葱を食べると、熱い汁が口の中にぴゅっと広がります。
「おい、三太夫鉄砲仕掛けになっておるぞ!」
ねぎまというのは、鮪のあらで取ったスープに葱と鮪をいれて煮た鍋で、殿様にとってはこんな美味しいものはなかったのでしょう。
さて、この葱はどう料理しましょうか。
ここで紹介したものでも、肉まんだかあんまんというのと、5千円札というのがありました。
今回はこれです。
葱といえば、葱鮪(ねぎま)の殿様という落語があります。
目黒のさんまと同じパターンですが、こっちの方はそれほどポピュラーではなく、私が知っているのはおばあさんの今輔といわれた古今亭今輔師匠のやつです。
あるお殿様、向島の雪見に行こうとしたところ上野広小路の煮売り屋(居酒屋)に引っかかり、ねぎまで一杯と相成ります。
葱を食べると、熱い汁が口の中にぴゅっと広がります。
「おい、三太夫鉄砲仕掛けになっておるぞ!」
ねぎまというのは、鮪のあらで取ったスープに葱と鮪をいれて煮た鍋で、殿様にとってはこんな美味しいものはなかったのでしょう。
さて、この葱はどう料理しましょうか。