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貫地谷しほりさんがラッパを練習した場所で、、、

  • 貫地谷しほりさんがラッパを練習した場所で、、、
自転車乗りの練習をしました。

ほぼ乗れるようになった息子は、張り切って随分あっちこっちに行ったので、こっちの方が疲れてしまいました。
でも、まだ体にかなり力が入っているので、今日の朝はなかなか起きれませんでした。

私の場合、1年生の時はまだ補助輪で乗ってたような気がします。
初めて乗れたのは、仲町の安達さんのちかくにあった空き地で、近くに住んでいた萩原君に手伝ってもらったような気がします。
そこの空き地は駅のすぐ近くなので、蒸気機関車の入れ替えを見ながら、なんども転びながらやってたことを思い出しました。
2011.04.13:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

「お祭り」の写真5

  • 「お祭り」の写真5
この先頭の神官は、上杉神社再建誌によれば鶴巻庄作出仕ではないかと思います。
そしてここの巫女は、結構昭和というか、昔と言うかあんまりこういう古風な顔立ちの方はいませんね、最近は。
2011.04.12:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真4

  • 「お祭り」の写真4
考えてみると、私が子供のころも現在もこの社会事務所の前には植木屋さんがいっぱい出ていました。
このころはそれがありませんね。

神主さんが馬に乗っている図というのもあまりないですね。

それはそうと、今日は随分揺れますねぇ。
2011.04.11:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真3

  • 「お祭り」の写真3
この馬車は、現在は上杉神社宮司で、まいづる幼稚園の大乗寺健園長が乗車されております。
豆いちの前を通る時、いつも杓で挨拶されます。おじゃる丸のあれです。

憲兵のような人というか、係の人が写っていますが、だんだん戦時色が強くなっていることの表れなのでしょうか。

このころは先々代の大乗寺良一宮司と御者がどこかの印刷屋の社長だったと思いますが、調べてみたがいまいち分かりません。
私が子供のころはこれを牛が曳いていた時期もあったような気がしますが、この記憶も曖昧です。
その頃の私はパレードを駅前のほうで見ているわけですが、よく牛がある牛肉店の前で奪糞したりしたものです。
これは恨みからきていると大人の人は言って笑っていたりするわけです。
またそれが不思議に毎年繰り返されたりしていたのでした。
2011.04.10:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真2

  • 「お祭り」の写真2
この天狗さん現在も実在(!)していて、やっている方知ってますよ。
しかる筋の方です。

で、その後ろにいる陣笠をかぶった侍の一団があります。
これは子供ヴァージョンもあるはずで、私は小学校5年生にやったことがあります。草鞋ばきで歩きにくいんです、江戸時代の人は。

控室は臨泉閣の二階で、終わってからギャラをいただきました。その当時(昭和50年ごろ)で日当が500円、まだ岩倉具視さんのお札でした。
すごい薄い封筒に入っていて、糊張りの端っこから破いたら、お札の端っこも破れてしまいました。あとはおにぎりを貰ったのかもしれません。牛乳かヤクルトもついてたかなあ。

大枚500円は、帰りの縁日の屋台できれいさっぱり使ったのは言うまでもありません。
やっぱり「型抜き」でしょうな。あたりを見回すと、一気に暗くなったりしていました。急に心細くなったりして。。。
宵越しの銭は持たない、これぞ消費生活の原点といえましょう。
これを世間では「バカ」といいます。フム、フム、、、
2011.04.09:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]