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「お祭り」の写真10

  • 「お祭り」の写真10
この馬をひいて、火縄銃を持っている方はもしかしたら宮坂さんではないでしょうか。
宮坂さんといっても、『小沢昭一の~』ではありませんよ。

なんとなく眼鏡をかけているようにも見えます。
宮坂さんはうちから2軒先でいろいろな上杉家の宝物を収集していました。
小学生のころ、蔵の中を見せてもらったことがあります。
それが今の宮坂考古館です。

そのころの宮坂さんのイメージは先代の三遊亭金馬か、左門豊作でした。
人違いかもしれませんが、どうでしょう。

2011.04.18:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真9

  • 「お祭り」の写真9
多分パレードの前に待機している写真だと思います。
このころの馬を見ても、最早農耕馬ではなく競走馬と思われます。
以前お祭りの馬は相馬からきていると聞いたことがありますが、野馬追の馬もほとんどが関東からのレンタルということです。

2011.04.17:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真8

  • 「お祭り」の写真8
実は昨日の写真にちゃんと影を付けたヴァージョンもあります。
写真は元ネタは同じですが、後ろの市役所をみると、トリミングが違うようです。

でも、赤い陣羽織の右上にいきなり自転車に乗った親父が現れます。
細かく見ると袴の色など、ところどころに差異がみられます。
版元が違うのでしょうか。見れば見るほど、、、です。
2011.04.15:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真7

  • 「お祭り」の写真7
これらの写真はモノクロ写真に着色したものと思われますが、人の影を付けるのを忘れたらしく、皆が道路から浮いているようにも見えます。
但し遠藤の人の影はあるので、何か意図があったのかもしれませんね。
2011.04.14:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

「お祭り」の写真6

  • 「お祭り」の写真6
右後ろの建物が、市役所なので門東町の通りを神社の方に向かっているものと思います。

このコースの変遷もいろいろあると思いますが、大体神社を出発して駅の方に向い、12時ごろ駅の広場にて鉄砲隊の試技というパターンはいつからできたのでしょう。

駅から二本出ている道(旭町と住之江町)がすごく機能的に使用されるのは、このときをおいて他に無いような気がします。

この大きい扇も戦陣に持っていったのでしょうか。

2011.04.13:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]