HOME > 記事一覧

松川考

  • 松川考
米沢の市内中心部に流れている松川は、なぜ松川というようになったのでしょうか。
今はあまり川の近くに松は生えていませんが、昔の写真を見ると結構松の木が生えています。
多分そのようなことで松川というのではないでしょうか。

福島の方が見えられて、米沢にも松川があるのですね、とおっしゃっいました。
そういえば福島にも松川があることは知ってました。山形県側の吾妻山に水源を発し、姥湯、滑川両温泉を通り、奥羽本線沿いに福島側に下ります。
大笹生を抜け下釜というところで、阿武隈川に合流します。

ここではたと思ったのは、この松川は松川事件の松川とは直接関係しないのですね。場所が全然違います。
あまり考えたこともなかったのですが、福島の松川=松川事件と思っていたので。
あと子供のころ海水浴に行った松川浦との関係はどうなのでしょう。

松川事件といえば、下山事件を思い出しました。JR北海道の社長が無事であることを祈りたいと思います。

写真は鯛の松皮造りです。中央店のキムラで購入、ちょっと贅沢をしました。
2011.09.13:mameichi:コメント(0):[食いしん坊万歳]

托鉢の僧

  • 托鉢の僧
店をやっていると、いろいろな方が見えられます。
最初からお客様ではない来訪者に、セールスマンと宗教家の方がいらっしゃいます。

セールスマンも様々ですが、お祈りのほうも様々な方がおいでになります。
今日いらっしゃったのは、臨済宗京都の○○寺(寺の名は覚えられませんでした。)の方でした。
お断りして写真を撮らせていただいたのですが、真っ黒に焼けた肌、着ているものなどなかなか渋いお姿でした。

江戸の昔などはこういった方が、随分往来をしていたのだろうなぁ、と思わせる感じで、太平洋側は臨済宗(伊達など)が多いが、上杉は曹洞宗が多いですね、とか
この辺だと上山は時宗だと言ったら、一遍上人が松山の人なので、伊予には時宗寺院があるが、現在はそれほどポピュラーではないかもしれないなどということを教わりました。

こういった地に足がついた方の情報は、江戸時代などは本当に貴重だったと思われ、いつまでも聞いていたい感じにとらわれました。




2011.09.12:mameichi:コメント(0):[豆いち、店舗にて]

店のお手伝い。

  • 店のお手伝い。
諸般の事情により最近店に来ていなかった息子が、久しぶりに手伝いに現れました。
大体ここに来ると最初にパソコンでゲームしたいっ!とわめき散らします。
しょうがないので時間を決めて15分ほどポーカーとかインベーダーゲームみたいなものをやります。

そろそろ手伝いをしてくれるものと、準備をしていると今度は外で縄跳びを始めました。
それにだんだん飽きてくると、今度はおやつを食べたいと言い張ります。
しょうがないので、少し腹の足しになるものを食べさせると、屋っと観念して作業を始めます。

若干のお客様はご存知ですが、袋に豆チョコを入れて定量に計るという仕事です。
金曜日はなんと50個作りました。以前は途中で飽きてギブアップが多かったのですが、随分根気が出てきたものだとびっくりしています。

写真は詰め終わってシール張りの模様です。リボン結びが出来ればこっちはうんと楽なのですが、まだ1年生ですからねぇ。
2011.09.11:mameichi:コメント(0):[豆いち、店舗にて]

深夜緩行 其の2

  • 深夜緩行 其の2
高崎で開かれた展示会は、珈琲豆業者、紅茶業者、珈琲器具業者、そして食品業者約30社ほどからなり、新製品やお買い得商品などを見て回り、よければ注文を入れていくシステムだ。

そして我々にとって同業者との情報交換がためになり、今どんなものが売れているのかとか、いろいろと教えてもらえるのだ。
お昼は高崎といえば鳥弁当が有名なのですが、今回はうなぎ弁当をごちになって大満足。

18時40分まで家に帰って来てくれという指令が出ているのだが、中々情報交換が終わらずに会場を出たのが13時40分ほどでいい時間となってしまった。
で、問題の高崎だるまはどこにあるのか?ということなのだが、50号線上のアリアにはどう見てもそれらしき店はない。達磨寺というところに行けば多分あるのだろうが、逆方向なので行けない。仕方なくシャディのサラダ館のようなギフト屋さんで聞いてみた。

まず時期的に売ってないし、通常その辺では取り扱わないらしい。どのくらいの大きさですかと聞かれ、そこの主人がこれぐらいですかという大きさがもはや直径50センチを超えている。いやいやもう少し小さい奴でいいのです。選挙に出るわけじゃあないんで、、、
最終的な答えは答えは「ネットで買えます。」という非常に分かりやすいものに落ち着いた。

それでも50号線を降りて桐生市内にはい入り駅の周辺まで行き、お土産屋を捜すもはやそういうものはないようだし、駅に車を止めてキオスクに行くのも面倒だし、道の駅もないし。時間はどんどこ過ぎていく。

その間聞いていたラジオがTBS「小島慶子のキラ☆キラ」でピエール瀧氏と揚げ物について激論を交わしていた。
めったに聞かないTBSなのだが、「テリーとたい平のってけラジオ」を終了に追いやったのはこの番組らしく、テレビはパッとしないが、外山恵理などいつの間にかラジオで喋れるアナウンサーをちゃんと育てているのに感心する。

その時ピエール氏曰く「揚げ物にレモンをかけるのは意味がない。」
そうそうその通り!!とわたし。
この問題は随分前から私の前に立ちはだかっており、レモン自体が季節によっては原価高にもなり、実際あまりいい香りのするものでないのを使わなければならない状況もあるはずで、その前に揚げ物になぜレモンなのかさっぱりわからない。
さっぱりしていいじゃないか、といっていたがさっぱりしたければとんかつなんか食べなくてもいいぞ。細かく刻んだかくやの香々(こうこ)ででもおまんま食べてりゃいいんだ、と思うのだが。
ミスチルの桜井氏も同意見だそうで、同様の方連絡お待ちしています。
直接お店でお待ちしてますけど。

そんなことをしてやっと佐野藤岡から高速に上がったはいいが、地震の工事をやっていて、矢板から須賀川ぐらいまで、一車線のろのろ通行で、米沢18時40分には着く訳もなく、19時35分に家に着き深夜緩行の旅は終わりを迎えた。

達磨はないと言って謝り、展示会で貰ってきた御菓子で子供のご機嫌を伺う私であった。

写真は50号線上、笠懸か伊勢崎あたりでいつも気になる田村肖像画房。


2011.09.10:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

深夜緩行

  • 深夜緩行
明日は早く出ていくといったら、息子が目覚ましを貸してくれた。
時計の針はまだ1時。2時に目覚ましをかけていたのだが、さすがにあの音が鳴り響けばみんなに迷惑がかかる。まだ眠いがセットした時計を止めていざ、出発することにした。
珈琲屋さんの展示会が高崎であるのだ。息子の土産のリクエストは「だるま」。この約束が後半大きな足かせとなる。

通常のルートは高速で福島飯坂‐佐野藤岡からR50で約5時間の行程だが、私の場合はいつもの通り、会津西街道から日光、足尾を抜けて高崎に至るルートをひた走る。

日光に入ったのが4時30分ごろ。いいペースだ。あとはひと山越えて足尾より高崎は1時間半ぐらいなので、途中待避所で仮眠を取れるなどと考えていたら、目の前の電光掲示板に「桐生通行止」とある。
しょうがないのでかの有名な「いろは坂」を登り中禅寺湖に出て、金精峠を超え片品村尾瀬入口より沼田に出るルートをとったのだが、現在その辺の道路情報を見ても、全く通行止の様子はなく、実際はどうだったのだろう。
江戸時代であれば、たぬきに莫迦された気分なのだ。

いろは坂-中禅寺湖-戦場ヶ原-金精峠というのは初めて通るルートで、見事に観光地しているが、東北から行く人はあまりいないだろう。イメージからすると裏磐梯とかぶるのだ。
金精峠は学生の頃ボーリング工事のバイトで何となく聞き覚えがあるので、昭和の終わり頃来ているはずだが、全く分からなかった。間違いなく東京電力関連の仕事だったと思う。
途中1時間ほど仮眠、生き返る。
沼田に出ると17号線は利根川伝いに降りていく。川はまだ大きく濁っていた。

いつものところでご飯を食べる。

写真はいろは坂上、明智平から見た男体山。
続きはまた明日。
2011.09.09:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]