10月1日は珈琲の日です。それに合わせて10月1日(土)から3日(月)まで開店3周年記念セールを行います。
ご住所を戴いているお客様には告知の葉書をお出ししましたが、ブログを見てくださっている方も是非いらしてください。
内容は画面のとおりです。この他にもいろいろあるのでお楽しみに。
そして本日1,000円均一の器が到着しました。取りあえず並べていますので、下見に来てくださるのも一興かと思います。なかには5,000円の鉢などもありますよ。
大好評!ラウシュのチョコレートは本日入荷いたしました。
またコーヒーも2品種新しい豆が入荷いたします。
絶対オトクの3日間なので、皆様お誘い合わせの上豆いちにお越し下さいますようお願いします。
追伸;駐車場ですが、豆いち北の空き地をお借り出来ましたので是非ご利用ください。
そこも埋まっている時は、信号を北方面にわたり、前山輪店脇の下山㈱駐車場にお止め下さい。
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佐藤清水公園を裏から覗く。
上花沢片町を線路の方から行くと、旭町にぶつかります。旭町は鉄道が出来たときに作った道で、仲町、信濃町、小国町と次々斜めに当たって相生橋に出ます。
片町から旭町に出ると大河原牛肉店に路地があり、住之江町(これも鉄道開通時の新道)に抜けます。そこを渡りハヤシ薬局のところをまっすぐ行くと松川橋に出る道にぶつかり、そこを抜けていくと佐藤清水公園にたどり着きます。
大河原牛肉店からの細道が参道ということでしょう。多分古くからの道でしょう。昔は結構店もあった通りと聞いています。
明治末期、近くに火力発電所があったとも聞きます。蒸気機関車の残骸のような鉄の塊が、子供の頃にもあった記憶があるのでそれではなかったでしょうか。
明治32年に鉄道が開通した頃には、花都と松川という二軒の料理屋があったということです。
花都はその後新野医師が結核診療所として買い取り、その名も月見山療養所になりました。松川は料理屋から弁当屋になり現在に至ります。
写真はヨークベニマルの駐車場から見た佐藤清水公園。
子供の頃このへんの窪地は全体的に湿地帯で、沖正宗の瓶詰め工場がありました。
醸造していたのは現在くすりのカワチのところですが、窓などがなく古めかしく、妙に威圧感のある建物だった記憶があります。
片町から旭町に出ると大河原牛肉店に路地があり、住之江町(これも鉄道開通時の新道)に抜けます。そこを渡りハヤシ薬局のところをまっすぐ行くと松川橋に出る道にぶつかり、そこを抜けていくと佐藤清水公園にたどり着きます。
大河原牛肉店からの細道が参道ということでしょう。多分古くからの道でしょう。昔は結構店もあった通りと聞いています。
明治末期、近くに火力発電所があったとも聞きます。蒸気機関車の残骸のような鉄の塊が、子供の頃にもあった記憶があるのでそれではなかったでしょうか。
明治32年に鉄道が開通した頃には、花都と松川という二軒の料理屋があったということです。
花都はその後新野医師が結核診療所として買い取り、その名も月見山療養所になりました。松川は料理屋から弁当屋になり現在に至ります。
写真はヨークベニマルの駐車場から見た佐藤清水公園。
子供の頃このへんの窪地は全体的に湿地帯で、沖正宗の瓶詰め工場がありました。
醸造していたのは現在くすりのカワチのところですが、窓などがなく古めかしく、妙に威圧感のある建物だった記憶があります。
2011.09.27:mameichi:コメント(0):[米沢城下に江戸を訪ねる]
テキヤの底力。
23日金曜日息子がばあちゃんと上杉神社に行きました。
縁日が出ていて、その中でくじ引きをやって玩具を当てるといういわゆる当て物というのをしてきたみたいです。
一回300円で空くじなし、51~55番までの玩具をもらえると出たらしいのですが、(詳細は何を言ってるのか何回説明を聞いても理解できず)テキヤのおやじが裏の方からピストルの箱を出してきて、それをもって帰ってきました。
箱は良く出来ています。中々立派なのです。
問題は中身なのですが、どう見てもダイソーにも売ってないような代物です。
一回引き金を引くと、バネが壊れて使えなくなりました。
本人かなり盛り上がって帰ってきたのですが、いきなりの所業でかなりがっかりです。
だからああいうところで買っちゃいけないと、何百年間言われているセリフ通りのお説教をする、私です。
勿論自分のことは棚に上げてですが。
縁日が出ていて、その中でくじ引きをやって玩具を当てるといういわゆる当て物というのをしてきたみたいです。
一回300円で空くじなし、51~55番までの玩具をもらえると出たらしいのですが、(詳細は何を言ってるのか何回説明を聞いても理解できず)テキヤのおやじが裏の方からピストルの箱を出してきて、それをもって帰ってきました。
箱は良く出来ています。中々立派なのです。
問題は中身なのですが、どう見てもダイソーにも売ってないような代物です。
一回引き金を引くと、バネが壊れて使えなくなりました。
本人かなり盛り上がって帰ってきたのですが、いきなりの所業でかなりがっかりです。
だからああいうところで買っちゃいけないと、何百年間言われているセリフ通りのお説教をする、私です。
勿論自分のことは棚に上げてですが。
紅白まんじゅうは岩倉まんぢゅう
興譲小学校は22日に131年を迎えました。
お祝いに紅白まんじゅうを貰ってきたので、みんなで少しづつ分けて食べました。
その昔子供の多いときは、岩倉まんぢゅう3店舗(以前は丸の内にもあった。)で手分けして作って数を揃えていたと聞いたことがあります。
例えば、私の頃の東部小学校は約1,500人、教師スタッフも多分配布されたと仮定して、約1,600人分、紅白で約3,200個となります。
3店で割って約1,000個、常の分もあるのでねぇ。
多分手作りなので商売とはいえいい感じのボリウムです。
そういえば、丸の内の店には機械があったような気もします。
むっちりとした皮で、美味しくいただきました。
お祝いに紅白まんじゅうを貰ってきたので、みんなで少しづつ分けて食べました。
その昔子供の多いときは、岩倉まんぢゅう3店舗(以前は丸の内にもあった。)で手分けして作って数を揃えていたと聞いたことがあります。
例えば、私の頃の東部小学校は約1,500人、教師スタッフも多分配布されたと仮定して、約1,600人分、紅白で約3,200個となります。
3店で割って約1,000個、常の分もあるのでねぇ。
多分手作りなので商売とはいえいい感じのボリウムです。
そういえば、丸の内の店には機械があったような気もします。
むっちりとした皮で、美味しくいただきました。
新資料発見。
先日置賜日報社の成澤社長より「伊勢神宮御師蔵田一族の歴史:蔵田国順氏著」という本を頂戴しました。
以前より調べていた豊川炭鉱馬車鉄道の資料を提供させていただいたためです。
そしてこの中に出てくる蔵田国治がその会社の社長だったのです。
著者の蔵田国順氏は現在小松皇太神社の宮司で、当代より3代前が国治となります。
何度か米沢日報の連載していたときもも読ませていただいたのですが、今回新たに2つのことが分かりました。
1つは国治が警部をしていたことです。神主のほかに明治11年から県の書記などをやり、その後明治12年1年ほどではあるが警察官をしていたのです。
豊川炭鉱馬車鉄道専務の高野義雄も警察官をしていた時期があるのです。
手元に資料がないので分かりませんが、何かかかわり合いがあったかもしれません。
もう一つは国治の兄信が東京府南足立郡長をしていたことです。そしてその信が郡長をしているときに、エリア内に千住馬車鉄道が開通したのでした。当初この鉄道はすこぶる好調な成績を上げていた時期であり、そのとき信は内務省より非職を命じられ、翌27年1月26日に依願免官となり小松に帰りました。
そして信は28年8月8日小松で逝去しています。郡長をしていた信は千住馬車鉄道に許可を与える方だったと思われ、国治に何かアドバイスをしていたのではないでしょうか。
米沢日報に小松の有志によって鉄道馬車の計画が掲載されるのは、それから2年余りあとのことです。
それにしても、何か発信すれば少しづつ見えてくることもあるものだと妙に感心しました。
以前より調べていた豊川炭鉱馬車鉄道の資料を提供させていただいたためです。
そしてこの中に出てくる蔵田国治がその会社の社長だったのです。
著者の蔵田国順氏は現在小松皇太神社の宮司で、当代より3代前が国治となります。
何度か米沢日報の連載していたときもも読ませていただいたのですが、今回新たに2つのことが分かりました。
1つは国治が警部をしていたことです。神主のほかに明治11年から県の書記などをやり、その後明治12年1年ほどではあるが警察官をしていたのです。
豊川炭鉱馬車鉄道専務の高野義雄も警察官をしていた時期があるのです。
手元に資料がないので分かりませんが、何かかかわり合いがあったかもしれません。
もう一つは国治の兄信が東京府南足立郡長をしていたことです。そしてその信が郡長をしているときに、エリア内に千住馬車鉄道が開通したのでした。当初この鉄道はすこぶる好調な成績を上げていた時期であり、そのとき信は内務省より非職を命じられ、翌27年1月26日に依願免官となり小松に帰りました。
そして信は28年8月8日小松で逝去しています。郡長をしていた信は千住馬車鉄道に許可を与える方だったと思われ、国治に何かアドバイスをしていたのではないでしょうか。
米沢日報に小松の有志によって鉄道馬車の計画が掲載されるのは、それから2年余りあとのことです。
それにしても、何か発信すれば少しづつ見えてくることもあるものだと妙に感心しました。
2011.09.22:mameichi:コメント(2):[線路は続くよ果てまでも。]