毎度ありがとうございます。
豆いちの営業時間ですが、下記のように変更いたします。
12月7日(金) 10時~18時
12月8日(土) 10時~15時 17時40分~19時
大変ご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願いします。
豆いち 石塚保宏
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東京の公園の下で
サックスを吹いていた。
休みの日は、晴れていればサックスをたがってお出かけだ。
東京は意外と公園が多い。
昭和の終わりごろの管楽器練習のメッカといえば、やはり代々木公園ということになろう。歩道橋の下がいい場所とされていて、プロの方も随分練習されていた。
NHKの前を過ぎて、渋谷公会堂近くのユニオン楽器に行けば、関根さんの進駐軍時代の話を聞くのも面白かったし。そこでいま吹いてるサックスを騙されて買ったんだ。
TOWER-RECORDの坂を少し上がると、宮澤さんというおじいさんがやっていたSWINGというジャズ喫茶もあって2~3時間昼寝させてもらったり。
竹の子族のブームは終わっていたが、日曜ともなるといろいろなバンドが演奏していたものだ。
西新宿公園でも吹いていた。男の方がビギニで日光浴をなさっている脇で、吹いたりなんかして、いつの間にか絡んでたりなんかして、独特の雰囲気を醸し出していた。
確か山下達郎だったか誰かのサポートをしているサックスの方とお話をしたりして、その方はブラバン出身でJAZZっぽい吹き方はこういう風にしてるよ、なんて教えてもらったり。
そして一番行ったのは吉祥寺の井の頭公園。
家から近いのもあったし、終われば近くの焼き鳥伊勢屋で一杯やったり、友人のスタジオでまどろんだり勝手気ままだった。
その頃の芸風は今よりもかなりフリーキーな感じだったので、「ブホ・ゲシャラ・ピポペ~」などと吹いていると、浮浪者たちにこれでは寝てられないと喧嘩になったりして。
7年間の東京生活はサックスとともにあった。会社に行くときも持っていったし。
満員電車の朝にテナーとバリトンと営業カバンを持って。迷惑だったろうなぁ。
ビルの警備をしている小父さんに預かってもらったりして。「ばかうけ」なんか賄賂に使ってね。
何をやってたんだろう、あの頃。
休みの日は、晴れていればサックスをたがってお出かけだ。
東京は意外と公園が多い。
昭和の終わりごろの管楽器練習のメッカといえば、やはり代々木公園ということになろう。歩道橋の下がいい場所とされていて、プロの方も随分練習されていた。
NHKの前を過ぎて、渋谷公会堂近くのユニオン楽器に行けば、関根さんの進駐軍時代の話を聞くのも面白かったし。そこでいま吹いてるサックスを騙されて買ったんだ。
TOWER-RECORDの坂を少し上がると、宮澤さんというおじいさんがやっていたSWINGというジャズ喫茶もあって2~3時間昼寝させてもらったり。
竹の子族のブームは終わっていたが、日曜ともなるといろいろなバンドが演奏していたものだ。
西新宿公園でも吹いていた。男の方がビギニで日光浴をなさっている脇で、吹いたりなんかして、いつの間にか絡んでたりなんかして、独特の雰囲気を醸し出していた。
確か山下達郎だったか誰かのサポートをしているサックスの方とお話をしたりして、その方はブラバン出身でJAZZっぽい吹き方はこういう風にしてるよ、なんて教えてもらったり。
そして一番行ったのは吉祥寺の井の頭公園。
家から近いのもあったし、終われば近くの焼き鳥伊勢屋で一杯やったり、友人のスタジオでまどろんだり勝手気ままだった。
その頃の芸風は今よりもかなりフリーキーな感じだったので、「ブホ・ゲシャラ・ピポペ~」などと吹いていると、浮浪者たちにこれでは寝てられないと喧嘩になったりして。
7年間の東京生活はサックスとともにあった。会社に行くときも持っていったし。
満員電車の朝にテナーとバリトンと営業カバンを持って。迷惑だったろうなぁ。
ビルの警備をしている小父さんに預かってもらったりして。「ばかうけ」なんか賄賂に使ってね。
何をやってたんだろう、あの頃。
もし金を払って噺家を聞きに行くとしたら、
「志ん朝しかいねぇな。」といったのは立川談志。
立川談志は、二つ目の名前で柳家小ゑんといったころ、朝太といった志ん朝、全生といった先代円楽、この後輩二人に真打になるのを抜かれてしまっている。
その時小ゑんは師匠小さんに「朝太は志ん生の息子、全生の師匠は円生(協会幹部)、師匠(小さん)の力がねえから抜かれたじゃあないか。」と泣きながら訴えたという。
真打問題はこの後もずっと尾を引き、円生師匠が落語協会を出たのも、談志が飛び出したのもこのことに起因する。
誰を師匠に選ぶかで、随分行き先が変わってしまうことがある。
談志は「うちの真打はそんじょそこらの真打と訳が違うんだ。おれが選んだ真打なんだ。」
寄席という修業の場なくして志の輔という落語家をこさえた自信から「もし金を払って~」という言葉、志ん朝へのエールを送ったのではなかったか。
談志が出て行ったあとの落語協会は、立川流を無視することにし、立川流の落語家と一緒の舞台に立つことを許さない一派もいたと聞く。
その後立川流は志の輔をはじめとして、談春、志らくといずれも独演会がsoldoutになるような落語家を育ててしまった。そのあとに続く談笑、笑志、こしら等々。
そして無視していた落語協会の師匠方の悔しさは如何ばかりか。
現在立川流だけで約50人いる。
師匠の小さんが亡くなる前で直弟子が37人という大所帯。
これらを食わせるだけのシステム作りをしていたということだ。
今の落語協会でも会長小三治をはじめとして、先代会長の馬風、入船亭扇橋、さん喬、権太楼、市馬、孫弟子の三三、喬太郎など重要な部分は柳家で占められているといっていい。
量は質を凌駕する、中内さんの売り上げは全てを癒すではないがその辺が自分の課題かなぁ。
談志が言った「もし金を払って聞きに行くとしたら~」には元ネタがあるのご存じだろうか。
よく落語本などにこのエピソードは書かれているが、出典を書いたのは見たことがないのでここに記す。
云ったのはフランク・シナトラ、そしてシナトラが金を払って聞きに行くのはビング・クロスビーでもペリー・コモでもなく「トニー・ベネット」なのだ!
トニー・ベネットとレディ・ガガの競演。中々ですよ!
http://www.youtube.com/watch?v=ITR2io6WZ7E
立川談志は、二つ目の名前で柳家小ゑんといったころ、朝太といった志ん朝、全生といった先代円楽、この後輩二人に真打になるのを抜かれてしまっている。
その時小ゑんは師匠小さんに「朝太は志ん生の息子、全生の師匠は円生(協会幹部)、師匠(小さん)の力がねえから抜かれたじゃあないか。」と泣きながら訴えたという。
真打問題はこの後もずっと尾を引き、円生師匠が落語協会を出たのも、談志が飛び出したのもこのことに起因する。
誰を師匠に選ぶかで、随分行き先が変わってしまうことがある。
談志は「うちの真打はそんじょそこらの真打と訳が違うんだ。おれが選んだ真打なんだ。」
寄席という修業の場なくして志の輔という落語家をこさえた自信から「もし金を払って~」という言葉、志ん朝へのエールを送ったのではなかったか。
談志が出て行ったあとの落語協会は、立川流を無視することにし、立川流の落語家と一緒の舞台に立つことを許さない一派もいたと聞く。
その後立川流は志の輔をはじめとして、談春、志らくといずれも独演会がsoldoutになるような落語家を育ててしまった。そのあとに続く談笑、笑志、こしら等々。
そして無視していた落語協会の師匠方の悔しさは如何ばかりか。
現在立川流だけで約50人いる。
師匠の小さんが亡くなる前で直弟子が37人という大所帯。
これらを食わせるだけのシステム作りをしていたということだ。
今の落語協会でも会長小三治をはじめとして、先代会長の馬風、入船亭扇橋、さん喬、権太楼、市馬、孫弟子の三三、喬太郎など重要な部分は柳家で占められているといっていい。
量は質を凌駕する、中内さんの売り上げは全てを癒すではないがその辺が自分の課題かなぁ。
談志が言った「もし金を払って聞きに行くとしたら~」には元ネタがあるのご存じだろうか。
よく落語本などにこのエピソードは書かれているが、出典を書いたのは見たことがないのでここに記す。
云ったのはフランク・シナトラ、そしてシナトラが金を払って聞きに行くのはビング・クロスビーでもペリー・コモでもなく「トニー・ベネット」なのだ!
トニー・ベネットとレディ・ガガの競演。中々ですよ!
http://www.youtube.com/watch?v=ITR2io6WZ7E
バンド練習と酒飲みの関係
終わったら飲む! この体質は長い間培われたもので、練習自体が20時から始まるので、飲み始めるのが22時ごろから、どうしても帰るのが遅くなる。
次の日?もちろん仕事ですが、何か?
私にとってバンドの練習の歴史は古く、1中のブラバンから始まる。このころは終わってからの飲酒はなかったと思う。
そして高校時代のBBショックの時は、マイルスでトリスなんか飲んだりしたこともあったなぁ。
大学に入り、最初のC&Wのバンドあたりから酒浸りの様相を呈してきたことは間違いない。
終われば飲むというのが当たり前の時代、コールドスエッツの時は昼連(お昼の練習)だったので、それでもギターのよっちゃんのところで缶ビールぐらいごちそうになっていた気もするしなぁ。
その前後のバンド、オールド・ディックス、スィート・ナイツ東京、楽団:魅惑の羽衣のころは練習と飲み会が当然のごとくセットメニューとなっていた。
イメージとしては飲めない人はいなかったと思うし、割り勘なので無理して飲んでたやつもいたのだろうか。
呑んだ飲んだ。
そして現在、以前は毎日のように宴会をしていたのだが、結婚して子供が出来たりするといつまでもそういう訳にはいかない。しかもいつも行っていた店さえも閉店してしまったし。
それで最近は土曜日の練習後のミーティングと称する飲み会で、ヘベレケになるまで飲むこととなった。その日が勝負といってもいいのだ。
それがだ、他の県内のあちこちのバンドに顔を出しているH君に聞くと「いまどきそんなことをやっているのはここだけです。呑むのは大概コンサートの打ち上げぐらいです。」とのことであった。
先日以前奉職していた会社の同僚が言ってたのだが「今飲み会でも飲むのは2~3人ぐらいで、若い衆はみんな飲みません。」だそうだ。
いつの間に、、、、。
飲み会がなければ練習はやれないなぁ。飲み会なくして練習なし。
しかし随分時代遅れになったもんだ。
写真は飲んだ後、次の日片づけた安酒の缶の山です。
次の日?もちろん仕事ですが、何か?
私にとってバンドの練習の歴史は古く、1中のブラバンから始まる。このころは終わってからの飲酒はなかったと思う。
そして高校時代のBBショックの時は、マイルスでトリスなんか飲んだりしたこともあったなぁ。
大学に入り、最初のC&Wのバンドあたりから酒浸りの様相を呈してきたことは間違いない。
終われば飲むというのが当たり前の時代、コールドスエッツの時は昼連(お昼の練習)だったので、それでもギターのよっちゃんのところで缶ビールぐらいごちそうになっていた気もするしなぁ。
その前後のバンド、オールド・ディックス、スィート・ナイツ東京、楽団:魅惑の羽衣のころは練習と飲み会が当然のごとくセットメニューとなっていた。
イメージとしては飲めない人はいなかったと思うし、割り勘なので無理して飲んでたやつもいたのだろうか。
呑んだ飲んだ。
そして現在、以前は毎日のように宴会をしていたのだが、結婚して子供が出来たりするといつまでもそういう訳にはいかない。しかもいつも行っていた店さえも閉店してしまったし。
それで最近は土曜日の練習後のミーティングと称する飲み会で、ヘベレケになるまで飲むこととなった。その日が勝負といってもいいのだ。
それがだ、他の県内のあちこちのバンドに顔を出しているH君に聞くと「いまどきそんなことをやっているのはここだけです。呑むのは大概コンサートの打ち上げぐらいです。」とのことであった。
先日以前奉職していた会社の同僚が言ってたのだが「今飲み会でも飲むのは2~3人ぐらいで、若い衆はみんな飲みません。」だそうだ。
いつの間に、、、、。
飲み会がなければ練習はやれないなぁ。飲み会なくして練習なし。
しかし随分時代遅れになったもんだ。
写真は飲んだ後、次の日片づけた安酒の缶の山です。
横山均さんと中森明菜
土曜日に飲んでいた時、キャンディーズをもう一回やったらいいんじゃあないか!とみんな(楽団員)に提案したら、最早すでに酒井政利氏が動いていたことを日曜日に朝に知った。
そうか、時代の要請なんだなと思うとともに、自分の考えに自分でちょっとがっかりもしてしまう自分がいた。
キャンデーズ世代かといえばそうなのだが、特にファンではなく、アイドルといえば松田聖子に尽きるという時代に育った。
妹はピンクレディーであり、弟はBOOWYだった。
でも私が中学3年のとき、キャンディーズ米沢公演があったと記憶する。
生徒会室(私は関係なかった)の1か月の日程の黒板に「キャンディーズ」とピンクのチョークで書かれていたのを憶えている。
確かバックバンドのドラムに4中出身の人が入っていたはずだ。
新メンバーでの名前は公募されるのだそうだが、ニュー・キャンディーズにはならないのだろうか。
ニューなんとか、というのは例えばニュー・グレンミラー楽団とか、ニュー・ラテンクォーターとか、ホテルニュー赤城など、やってることは同じですが、経営者などが変わりましたよ、とか場所を移動しましたよ、とかの場合に用いられる。河出書房新社とか、東北新社とかそういうのも同様だ。(ホントカナ?)
で、表題の横山均さんと中森明菜の話ですが、横山さんは現役のトランペッターで、現在もスタジオなどで活躍しておられる。
たまたまyou-tubeで何か見ていたら、右側に「高島忠夫と歌謡大全集」中森明菜というのがでてきたので、ちょっと覗いてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=pL58Dh8gyq4
1:07から始まる「十戒」のイントロのトランペットの「ピャァ、ピャァ、ピャァ」の音が凄い。譜面からはみ出しているといった音圧だ。
楽団は岡本章生とゲイスターズ、横山均さんは東京キューバン・ボーイズから移籍してきたらしい。
ちなみにリーダーの岡本さんもトランペットで、加藤茶のちょっとだけよのタブーのラッパは岡本さんの音とのこと。
それにしても一曲、一曲作曲者が当時の売れっ子を網羅している。
十戒 高中正義
少女「A」 芹澤廣明
1/2の神話 大沢誉志幸
禁句 細野晴臣
北ウイング 林哲司
サザンウインド 玉置浩二
セカンドラブ 来生たかお
とにかく中森明菜の歌唱とゲイスターズの演奏の素晴らしいこと。
ゲイスターズの演奏は、横山さんのトランペットにより支配されているといっても過言ではない。
北ウイングを間違えたとずーっと引きずってしまうところも、明菜ちゃんらしい。
そ・し・て!
リーダーの岡本章生さんのすごいパンタロンとシークレットブーツがイケてます。
高島さんの頓珍漢な司会も悪くないですね。
明菜さんも元気になったら、是非生で聞いてみたいなぁと思わせる歌唱です。
そうか、時代の要請なんだなと思うとともに、自分の考えに自分でちょっとがっかりもしてしまう自分がいた。
キャンデーズ世代かといえばそうなのだが、特にファンではなく、アイドルといえば松田聖子に尽きるという時代に育った。
妹はピンクレディーであり、弟はBOOWYだった。
でも私が中学3年のとき、キャンディーズ米沢公演があったと記憶する。
生徒会室(私は関係なかった)の1か月の日程の黒板に「キャンディーズ」とピンクのチョークで書かれていたのを憶えている。
確かバックバンドのドラムに4中出身の人が入っていたはずだ。
新メンバーでの名前は公募されるのだそうだが、ニュー・キャンディーズにはならないのだろうか。
ニューなんとか、というのは例えばニュー・グレンミラー楽団とか、ニュー・ラテンクォーターとか、ホテルニュー赤城など、やってることは同じですが、経営者などが変わりましたよ、とか場所を移動しましたよ、とかの場合に用いられる。河出書房新社とか、東北新社とかそういうのも同様だ。(ホントカナ?)
で、表題の横山均さんと中森明菜の話ですが、横山さんは現役のトランペッターで、現在もスタジオなどで活躍しておられる。
たまたまyou-tubeで何か見ていたら、右側に「高島忠夫と歌謡大全集」中森明菜というのがでてきたので、ちょっと覗いてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=pL58Dh8gyq4
1:07から始まる「十戒」のイントロのトランペットの「ピャァ、ピャァ、ピャァ」の音が凄い。譜面からはみ出しているといった音圧だ。
楽団は岡本章生とゲイスターズ、横山均さんは東京キューバン・ボーイズから移籍してきたらしい。
ちなみにリーダーの岡本さんもトランペットで、加藤茶のちょっとだけよのタブーのラッパは岡本さんの音とのこと。
それにしても一曲、一曲作曲者が当時の売れっ子を網羅している。
十戒 高中正義
少女「A」 芹澤廣明
1/2の神話 大沢誉志幸
禁句 細野晴臣
北ウイング 林哲司
サザンウインド 玉置浩二
セカンドラブ 来生たかお
とにかく中森明菜の歌唱とゲイスターズの演奏の素晴らしいこと。
ゲイスターズの演奏は、横山さんのトランペットにより支配されているといっても過言ではない。
北ウイングを間違えたとずーっと引きずってしまうところも、明菜ちゃんらしい。
そ・し・て!
リーダーの岡本章生さんのすごいパンタロンとシークレットブーツがイケてます。
高島さんの頓珍漢な司会も悪くないですね。
明菜さんも元気になったら、是非生で聞いてみたいなぁと思わせる歌唱です。