今日は珍しくみんな休みなので山形まで遠征することにしました。朝の兜山、いい感じです。飯豊も蔵王もかなりきれいでした。
車中ポニョを聞いたのですが、さびの部分がどうしても森繁の「知床旅情」に聞こえて仕様がありませんでした。
琵琶湖周遊の歌とか坊がつる賛歌とか、昔のワルツはどうしてもかぶります。古いのでしょうか?それは古いのでしょう。
高校のとき山岳部だったのですが、山岳部歌というのがあり、それが坊がつる賛歌の替え歌で、5番までありました。ただし坊がつるはワルツですが、部歌は2ビートでした。
山形じゃまだ竹やりで飛行機おっことそうとしてるんですから。
元々は広島高等師範学校(現広島大学)の山岳部歌だったそうです。
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肝油はすごい!
土曜日から子供が冬休みに入りました。でもうちは共稼ぎのため今週も預かってもらうことになっています。
長期休暇といえば肝油の販売と相場が決まっております。小学校の夏休み前には広島原爆の募金付き鉛筆というのもありました。小さなハトロン紙みたいな紙に緑のインクの小さな活字が活字がみっちりと詰まって戦争の悲惨さを訴えていました。
鉛筆といえば、愛宕山の登山と相場が決まっています。昔は町内で隊列を組んでいったこともありました。私は東2丁目、旧上花沢小国町だったので地蔵院に着くまで結構くたびれました。その後自転車で行き下に自転車を置いて登ったこともあります。
子供が朝肝油をくれるので、本人の食べる個数がもはや合わなくなっております。
長期休暇といえば肝油の販売と相場が決まっております。小学校の夏休み前には広島原爆の募金付き鉛筆というのもありました。小さなハトロン紙みたいな紙に緑のインクの小さな活字が活字がみっちりと詰まって戦争の悲惨さを訴えていました。
鉛筆といえば、愛宕山の登山と相場が決まっています。昔は町内で隊列を組んでいったこともありました。私は東2丁目、旧上花沢小国町だったので地蔵院に着くまで結構くたびれました。その後自転車で行き下に自転車を置いて登ったこともあります。
子供が朝肝油をくれるので、本人の食べる個数がもはや合わなくなっております。
左沢線より月山を望む。
火曜日、寒河江に行った折左沢線山辺駅を少し出たところから月山が見えたので写真を撮りました。果樹園を走る列車もいいですね。
左沢線は大正11年左沢軽便線として開通、なぜ左沢までなのか、というのは疑問の残るところです。荒砥から宮宿を経て結ぶ計画もあったのですが、この鉄道に関しても何をしたかったのかは非常に判りにくい感じがします。確か寒河江から河北町の谷地、神町を結ぶ計画線もありました。今の道路族同様、鉄道族がいたのです。
長井線の荒砥という終点も不思議な場所です。そして糠野目から高畠に鉄道があったころの終点、二井宿というのも納得が行く場所ではありません。
考えられるとすれば、やはり製糸産業でしょうか。
のんびりとした模型のような鉄道が現実にあって、今も動いていることに感動を覚えます。
高校生の通学用か高齢者の通院用として残ってる路線は全国に多いと思います。ある意味余裕を感じます。
昨年、川西町である講演の依頼を受け、終了後飲み会もあるとのことで、米坂線で羽前小松に向かいました。
たまに乗ってみてください。贅沢な旅が待っていますよ。
左沢線は大正11年左沢軽便線として開通、なぜ左沢までなのか、というのは疑問の残るところです。荒砥から宮宿を経て結ぶ計画もあったのですが、この鉄道に関しても何をしたかったのかは非常に判りにくい感じがします。確か寒河江から河北町の谷地、神町を結ぶ計画線もありました。今の道路族同様、鉄道族がいたのです。
長井線の荒砥という終点も不思議な場所です。そして糠野目から高畠に鉄道があったころの終点、二井宿というのも納得が行く場所ではありません。
考えられるとすれば、やはり製糸産業でしょうか。
のんびりとした模型のような鉄道が現実にあって、今も動いていることに感動を覚えます。
高校生の通学用か高齢者の通院用として残ってる路線は全国に多いと思います。ある意味余裕を感じます。
昨年、川西町である講演の依頼を受け、終了後飲み会もあるとのことで、米坂線で羽前小松に向かいました。
たまに乗ってみてください。贅沢な旅が待っていますよ。