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久しぶりの〆鯖。

  • 久しぶりの〆鯖。
段々暖かくなってくると、寒さばの味も落ちてくるのでしょうか。
さばはいつ食べても美味しいのですが、やっぱり冬のさばがおいしい感じがします。
本日のさばは石川県産(というか、石川県の漁港に揚ったというべきか!)です。身は厚くないのですが、丁度よい〆具合いで、おいしくいただきました。さんまは日本海産のイメージがないのですが、さばは太平洋、日本海ともにおいしいですね。

さて、鯖缶という加工食品がございます。
こやつ、ある意味、完結しています。水煮と書いてありますが、魚と水だけでこんなにおいしいものが出来るのでしょうか。
いな、出来ません。塩と殺菌工程のお陰かと思われます。

これで、十分というおいしさです。そしてブランドはマルハの月花(つきはな)というのに止めを刺します。肉厚のさばでとろりとした腹の部分の脂がたまりません。脂を食べても太らず血液さらさらになると聞いています。本当でしょうか?
そして背骨のこりこりもかなりいけます。ああ、食べたくなってきた。
刻みねぎと醤油をたらせば、ごはん三杯はまちがいなし!!
2009.02.09:mameichi:コメント(0):[食いしん坊万歳]

柳町界隈を歩く。

  • 柳町界隈を歩く。
寒い日が多いので、車で通勤することも多くなりました。
通町から万里橋を渡って福田町へ、それから柳町に右折します。

特徴としては、この右折から豆いちに至るまで信号がひとつもないことと、交差点がすべて優先となっています。

東光の酒蔵は以前は芳賀長内といって酒造家で白梅という銘柄でした。なかも立派なつくりの建物で、現在直江兼続の企画展も開催されています。

その昔は松川の一部がこの辺まで来ていて、川筋に柳の木がありそれで柳町になったといいます。その川筋を現在の場所に定めたのが兼続だという話もあります。
歩道も取っていないので、道幅も十分、道筋の雪もいつも丁寧に除雪されている落ち着いた通りです。
2009.02.09:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

絵葉書を出します。

  • 絵葉書を出します。
以前から収集していた米沢を中心とした古い絵葉書を復刻して販売することになりました。
外の看板にも「絵葉書」の文字を入れました。

日本での絵葉書の歴史は明治38年に遡ります。米沢でも明治後期から昭和の戦前まで盛んに出版されました。カメラを個人で所有するのはかなりの贅沢な時代であったためでしょう、絵葉書はよく売れたようです。

当時の日本は大陸進出を試み、軍人、役人、商売、開拓団などの多くの人が国外に暮らす状況が終戦まで続きました。そのため故郷の風景を写した絵葉書は人々の慰めになったのだと思います。私が持っているものの中にも、清国北京に出したものや朝鮮に宛てたものなどがあります。

今回は明治41年に時の東宮、後の大正天皇が東北巡幸の折米沢を訪れ、学校、工場視察などを行った後松川で川中島合戦の模擬戦をお見せしたときの写真が9枚、それに直江兼継の墓所を加えて第1集、第2集と各5枚づつ分けて販売します。

またその当時の米沢の町の様子を写したものを6枚別途販売いたします。
内容は「門東町界隈俯瞰」「掘立川雪景」「立町電話線架設風景」「米沢駅頭旅行団到着風景」「上杉神社子供参詣図」「並松園桜桃園満開風景」です。

その頃の版元2店舗の後継の方には連絡がつき復刻することに了承をいただきました。来週からの販売を予定しております。画像は順次アップしていきたいと思います。
2009.02.07:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

ちゃらちゃら流れる御茶ノ水。

  • ちゃらちゃら流れる御茶ノ水。
東京日帰りめぐりの続きです。

水道橋から総武線に乗り御茶ノ水で中央線に乗り換えるわけですが、ここで電車を待っていると思い出す話があります。

もう随分昔のことでしょう。
ホームから見える神田川に足場を作って工事関係者が地質調査を行っていました。親方と助手で掘り進めて行くわけですが、足場は狭くちょっとしたことで工具箱を神田川に落としてしまいました。工具がないと勿論仕事になりません。

ここは当然助手の出番です。
いまはかなりしゅんせつも進み以前よりはきれいになっていますが、その頃はどう見てもヘドロの川だったそうです。しかも冬、パンツ一丁で飛び込んだのをホームにいる人たちと写真に写っている橋を渡っている人たちがが興味深々で見ていたそうです。

話を聞くだに身震いのするお粗末でした。匂いは3日間は取れなかったということです。

ホームにこれから入らんとしているのは中央線快速、E233系です。吊革が黒くてびっくりでした。

2009.02.05:mameichi:コメント(1):[そこいら辺を歩く]

東京ドーム、久々に、、

  • 東京ドーム、久々に、、
その昔、昭和といったころ私は東京でサラリーマンをしていました。サラリーマンといっても不良のつくほうでした。仕事してなかったなぁ。

そのころ、まだ企業はバブルという泡に酔っていて、取引先のアメフトの対抗戦の応援に駆り出されて東京ドームにいきました、チアガールを見に。いい時代でした。

ドームの前は後楽園、中学校の修学旅行で巨人戦を見に行きました。野球アナに興味のあった私は、そのときTBSの渡辺謙太郎さんにサインを貰いました。ただのオタクです。
リリーフは関本四十四でした。ブルペンで投げていた角の球が重そうに見えました。

そしてその後ミック・ジャガーがきた時と、後にストーンズが来たときも東京ドームでした。まだキース・リチャーズも木から落ちる前でみんな元気でした。

それから20年、それほど古くなっているイメージはなかったです。


まあそれはそれとして、テーブルウェア・フェスティバルという催しを見てきました。
私の場合、以前は食品の展示会に出たり、見に行ったりしたのですが、ほとんど業者の祭典なので、入場者は自分のようなオヤジがほとんどでした。
びっくりしたのは、かなり女子高生がいっぱいいたことです。ほとんどは分別のあるご夫人ですが。

陶器を仕入れました。2月末には届くかと思われます。お楽しみに!

2009.02.03:mameichi:コメント(4):[嗚呼うましコーヒー]