今日は22時まで店を開けていたので、帰りが遅くなりました。明日も少し遅くまでやってみようかなぁ、、、などと思っています。
帰ってからつまみが足りなかったので、オムレツを作って食べました。かなりありあわせで、朝残ったトーストの切れ端と切干昆布の煮炒めを中に突っ込んでみました。写真では分かりにくいですが、形は図抜け大一番小判型です。お分かりかな!
味は勿論、goodです。料理やると疲れが吹っ飛びます。
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上杉曦山公って?
上杉曦山とは米沢藩12代目上杉斉憲の事で、この小山に碑が立っています。夏に行ったら倒壊の危険ありということで、縄が巡らされていました。結構大きな碑で石は南原大平から冬にそりで運んだらしいです。人望も厚く鷹山以来の人物ということで、3万石の加増受けたのは、会津から米沢に転封になって以来初めてのことです。
斉憲(なりのり)は上杉家12代藩主、幼名を鶴千代。喜平次。この人も喜平次だったようです。上杉家には珍しく子供の多い方で13男までおり、お姫様も山内、池田、細川、小笠原と、名門上杉たるところにみなさん嫁いでらっしゃいます。子息も小藩の殿様になった方が多く、幕末の波に巻き込まれ兄弟様々な人生になったようです。
この碑は題字が有栖川熾仁親王、石碑裏の文は勝海舟によるもので、明治24年に斉憲を慕う旧藩士の手によって建立されたものです。
有栖川といえば、あの詐欺師どうしているのでしょうか。確か八百屋だったと思います。
そういえば昨日のことですが実家の母から、私を名乗る男から電話があったがお前電話してきた?と連絡がありました。声質が全く違ったらしくすぐに分かったようです。
そういえば家の母の家業も八百屋でした。関係ないか、、、
あと曦山公の曦は日に義ではないので大きくしてみてください。
古い写真をみるとここの山は昔とあまり代わりがないように見えます。
桜のつぼみもふくらんで、春は早くやってきそうです。
状況によりますが(この雨なので)今日はお祭りなので、夜は少し長めに延長営業してみようと思っています。是非お立ち寄りください。目標は21時です。
斉憲(なりのり)は上杉家12代藩主、幼名を鶴千代。喜平次。この人も喜平次だったようです。上杉家には珍しく子供の多い方で13男までおり、お姫様も山内、池田、細川、小笠原と、名門上杉たるところにみなさん嫁いでらっしゃいます。子息も小藩の殿様になった方が多く、幕末の波に巻き込まれ兄弟様々な人生になったようです。
この碑は題字が有栖川熾仁親王、石碑裏の文は勝海舟によるもので、明治24年に斉憲を慕う旧藩士の手によって建立されたものです。
有栖川といえば、あの詐欺師どうしているのでしょうか。確か八百屋だったと思います。
そういえば昨日のことですが実家の母から、私を名乗る男から電話があったがお前電話してきた?と連絡がありました。声質が全く違ったらしくすぐに分かったようです。
そういえば家の母の家業も八百屋でした。関係ないか、、、
あと曦山公の曦は日に義ではないので大きくしてみてください。
古い写真をみるとここの山は昔とあまり代わりがないように見えます。
桜のつぼみもふくらんで、春は早くやってきそうです。
状況によりますが(この雨なので)今日はお祭りなので、夜は少し長めに延長営業してみようと思っています。是非お立ち寄りください。目標は21時です。
ナポリにはないナポリタン!
は、ないって噂です。ただしミラノにはミラノ風カツレツはありました。
でもミラノではミラノ風とはいわないと思います。サツマイモも鹿児島ではカライモだったと思います。かぼちゃはカンボジアから来た、、、のは嘘でしょう。
昨日子供のリクエストで作ってみました。喫茶店風です。ただし耳が赤いハムのこま切れはないので、豚肉です。子供向けなので大人には物足りません。でも家には粉チーズもタバスコもないので、唐辛子を少し振って食べました。OKです。
イタリアでは、粉チーズとタバスコは日本人向けに用意されていました。タバスコはかけないみたいですよ、本場では。アメリカから入ってきたのでしょうか。
昔、料理本を見て料理するとき、西洋料理の場合トマトピューレ(ないときはトマトケチャップでも可)などと代用品が書いてありました。アーティ・チョークの缶詰(なくても可)。なくてもよいのですが、どんどん当初の目的から離れていくものが出来上がってきます。
そういう意味では今はほとんど米沢でも食材が揃うので、便利な時代といえましょう。
でもミラノではミラノ風とはいわないと思います。サツマイモも鹿児島ではカライモだったと思います。かぼちゃはカンボジアから来た、、、のは嘘でしょう。
昨日子供のリクエストで作ってみました。喫茶店風です。ただし耳が赤いハムのこま切れはないので、豚肉です。子供向けなので大人には物足りません。でも家には粉チーズもタバスコもないので、唐辛子を少し振って食べました。OKです。
イタリアでは、粉チーズとタバスコは日本人向けに用意されていました。タバスコはかけないみたいですよ、本場では。アメリカから入ってきたのでしょうか。
昔、料理本を見て料理するとき、西洋料理の場合トマトピューレ(ないときはトマトケチャップでも可)などと代用品が書いてありました。アーティ・チョークの缶詰(なくても可)。なくてもよいのですが、どんどん当初の目的から離れていくものが出来上がってきます。
そういう意味では今はほとんど米沢でも食材が揃うので、便利な時代といえましょう。