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あのアンドレ・プレヴィンが、、、

  • あのアンドレ・プレヴィンが、、、
NHK交響楽団の客演主任指揮者に任命されたそうです。御年79歳、3年の契約とのことで、元気なのですねぇ。

ロンドン交響楽団、ロイヤルフィル、オスロフィル、ヒューストン、ピッツバーグ、ロサンジェルス・ハーモニックなどを振っていたのですが、時々ウィーン・フィルにも客演しています。

客演で主任というのがよくわからないのですが、私にとってはシェリーマンのマイ・フェア・レディのジャズピアニストのイメ-ジが強いです。
タン、タ-タ、タン、タン、タン、タン、ピン、ポコ、ピロンという教会へ行こうで始まる、コンテンポラリー盤の淑女のジャケットが思い出されます。あとシェリーマンの出色のブラッシュワーク、ああ、聞きたくなった。

写真は朝の吾妻山です。
2009.02.27:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

赤塚不二夫の鬼の面!

  • 赤塚不二夫の鬼の面!
当店も豆屋を名乗っていますので、同業者といえばいえないこともありません。
県内では自分の名前を商品名にした「でん六」と天体観測の「豆の板垣」が有名です。

さて鬼の面ですが、私が子供の頃から始まったような気がします。そして一時は秋本治が描いていた時期もあったような、、、とにかく亡くなっても赤塚不二夫というのが、桃屋の三木のり平を思わせます。
そういえば桃屋というのはのりの佃煮屋なのになぜ桃屋なのでしょうか?一昨年の幕張メッセで行われるFOODEXという食品業者の展示会で、私がジャムを販売というか、やっていると桃屋の営業という方がつかつかとやって来て桃のジャムを見ています。実は桃屋は桃の缶詰から始まったと伺いました。

FOODEXは今年も3月3-6日に開催され、高畠町食品工業協会2社増で9社参加とのことです。頑張ってきてください。

さて、豆まきですが、なまはげ風に「悪いこはいねがー」とおどろおどろしく言ったら、おっかなかったのか、涙目になり本気で豆をぶつけてきました。
2009.02.27:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

ラウシュ社のチョコレートについて。

  • ラウシュ社のチョコレートについて。
10月からご好評をいただいております、このチョコレートですが、残念なお知らせです。
実は3月末日で一旦お休みになります。これは、チョコレート業界では通常のことと思われます。

衝撃的なのは、エクアドル、トバゴ、テンバドロというハイカカオ系の3品種がなんと、終売、つまり廃止となります。

結構お客様もついてきたので、本当に残念ですが、在庫があれば5月ぐらいまで、販売しようと思いますので、是非お試しください。

おいしいのにねぇー。
2009.02.25:mameichi:コメント(0):[豆いち、店舗にて]

11年目の車。

  • 11年目の車。
今乗っている自動車を購入してから11年の月日が流れました。
何回か事故にも見舞われ、マフラーは二回さび付いて落ちてきて、ガーガーと引きずって運転、鍵の閉じ込みは新潟の水族館以降、JAFにはいったので(現在は未加盟)何回か来てもらいました。

購入してすぐ、屋根から雪が落下、車の屋根が凹んでしまいましたが購入した車屋が全く直す気がなく、そのままにしていたら昨年の冬から春にかけて塗装がぺりぺりぺりと剥がれてきて、別の修理工場にて屋根だけ塗りなおしてもらいました。

さて、今度はドアミラーの接続部分がぺりぺりぺりっと剥がれてきました。このままでいくと、あっちこっち剥れてきそうです。一去年までは屋根付車庫だったのですが、去年から青空(ヒッチハイク)なのが災いしていることは確実でしょう。

もう10年は乗りたいと思いますので直すか、自分で塗るか考えております。11年かかって7万キロですし、前の会社に行っていた時は高畠だったので、毎日往復26キロぐらい乗っていました。現在一週間に3日ほどで往復7kmぐらい、週21km×52週=年間1000kmです。楽勝です。10年で1万kmしかメーターが進みません。

あっ、仕入れ忘れていました。
年5回で650km=3250km+1000kmで約4000km、で10年乗って4万km、今まで7万kmなので足しても11万km、楽勝ですがこういう車はずっと乗っても大丈夫なのでしょうか。

そういえば、吉祥寺に住んでいた頃昭和38年式のコロナ(だったかなー)のタクシーに友人と乗りました。運転手はとうに80歳を超えた方で、その運転は滅茶苦茶でしたが、車はまあ普通に動いてました。まあ、整備が違うのでしょうが。あのころはバブルの絶頂期なので若造でも結構利用していました、タクシーを。終電まで飲んでいたので。

がんばれ!カロゴン、云わなくなりましたね、カロゴンって。
2009.02.25:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

私の履歴書(楽隊篇)

  • 私の履歴書(楽隊篇)
日経の最終頁に載ってる私の履歴書ですが、大概企業の社長の自慢話なのですが、2年ぐらい前に掲載された故遠藤実先生のは最高でした。

さて、私の場合ですが、、、

何となく、楽器というものが好きだったのでしょう。子供の頃から興味はありました。問題なのは修行が嫌いなのです。それではうまくなりません。その辺は現在も変わりません。
そして、相変わらず中途半端ではありますが演奏は続けております。

管楽器の付き合いは中学1年に遡ります。体操が苦手なので、ブラバンに入りました。トロンボーンを吹くことになりましたが、全く出来ませんでした。いやいやながら3年間を過ごしました。

高校になりました。ブラバンでは痛い目にあったので、山登りを始めました。ただし誘ってくれる方があり、BBショックというバンドにトロンボーンとクラリネットで混ぜてもらいました。

大学に入りました。その頃ブルースという音楽に興味を持ち、大学のサークルでブルースを弾けるギタリストがいる、ということでカントリー&ウエスタン(?)のバンドに入りました。下北沢スーパー・マーケットというライブハウスに出してもらいました。そのときのヴォーカルは歌川さんという人で、その後ペプシだかコカだかのコマソンを歌っていましたが、その後どうされているのか、、、そのころサックスを買ってサックス奏者になりました。

やはり方向性が違うため、自分でバンドを作ることを考え、いろんなライブにいき、武蔵野音楽学院という専修校のひとと仲良くなり、オールド・ディックスというバンドを作りました。吉祥寺マンダラをはじめ、渋谷ラ・ママとかいろんなライブハウスに出してもらいました。

その後、バンド内の改編があり私は、ライブで対バン(対抗バンドの略か?)だったコールド・スエッツというバンドに拾われました。そこでドラムをたたいていたのが現在東京スカパラダイスオーケストラでテナーサックスを吹いているGAMO君です。ここのバンドは女の子に人気があり、私が勤めた中では唯一のそういうバンドで楽しかったです。ライブハウスも原宿クロコダイル、新宿アンティノック、などに出させていただきました。

その間、バンド名は忘れましたが、丸君というサックスにピックアップされて神楽坂エクスプロージョンやロックの殿堂新宿ロフトにも上がらせていただきました。

コールド・スエッツはパナマ・ナイト・クラブからパナマへとめまぐるしく改名し、それをやりながら自己のバンド、スイート・ナイツ・トウキョウというサックス・ギター・ベースのバンドを結成しました。

そうしているうちに、オールド・ディックス時代のサックスから誘われ、横浜のチャーリー宮毛という鳳敬助さんのお弟子さんののバンドにトラで呼ばれました。ライブハウスは今はなき横浜は山下のバンドホテルのそばのシェルガーデン。なかなか味のあるライブハウスでした。そこであったピアノの人と意気投合、楽団:魅惑の羽衣が結成されました。

下北沢ロックン・ロール・ダイナ、高円寺次郎吉、イカ天なんかにも出させていただきました。メンバーのラッパの人がその頃プロとして幾多の演歌歌手の伴奏で活躍しておられ、一回だけキャバレーの演奏にも参加させていただきました、譜面も読めないのに。今は若干読めるようになりました。

その後米沢に戻り、女性ヴォーカルの伴奏、ロックン・ロールのバンドを経て、現在のスターダスターズというフル・バンドにたどり着きました。今後もどうなるものやら。

スター・ダスターズは今年が10回目のコンサートになります。そのときは是非いらしてくださいますよう、角から角までずず、ズイトー、宜しく御願奉ります。

写真はあと4日で終了する冬珈琲です。キリマンジャロ中心の香りのいいブレンドです。残り僅か、いかがでしょうか。

2009.02.24:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]