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あき竹城の名の由来。

  • あき竹城の名の由来。
米沢駅から田村電機に至る道路は、以前は信濃町の真木呉服屋から小国町に抜ける道はなぜか、砂利道で昼でも暗い怪しげな道路でした。脇に竹林もあり、夕方ここを抜けるのはちょっと怖い感じがしました。

そこからマルサン醤油の前を通り、左に宮坂さんのぶどう園を見ながら左にゆるいカーブを曲がり、少し上がると右にソバ屋(ラーメン屋)がありました。そしてその店はお菓子屋もやっていました。その中でもフライまんが有名でした。今はやっていませんが。


あき竹城はと東京に出てから、日劇ミュージックホールで踊り子をしていたといいます。ここはちょっと高級なストリップ劇場というところだったらしいです。ストリップとコントが抱き合わせとなっており、若き日の立川談志師匠も随分出演したらしいです。
この劇場から巣立ったのは春川ますみさんが有名です。エロから普通の女優という流れは、その後美保純、飯島愛という系譜へと続きます。

まだ米沢から出てきてそれほどたっていないときに、武田明子という踊り子が伴淳三郎とどこかで出会ったと思し召しください。
郷土米沢の大先輩です。米沢出身ということは知っていたのでしょう。
「お前、なんちゅう名前だ?」
「あぎだげんじょ」(あきだけど、、、)
=あき竹城になったといいます。ほんとのような、嘘のような。
うちの親父から聞いた話です。

そしてお菓子屋の話ですが、フライまんはとにかく表面が硬いのです。
その後、作っていた親父さんが急に亡くなり、家族はその固くなるフライまんの製法を知らされていなかったとか。
その菓子屋があき竹城の親戚だということを知ったのは、随分あとの事です。


最近の天地人などの演技は素晴らしいと思います。
トヨタのCMは驚きました。時代は今彼女なのでしょうか。


なお28日土曜日は、都合により18:30までの営業となります。ご迷惑をおかけいたしますが、何とぞよろしくお願いします。
2009.03.27:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

やっぱり猫が好き?

  • やっぱり猫が好き?
社会人になって、短い期間に引っ越しを2回して三鷹のかなり古いアパートに越した時のことです。
駅前の不動産屋のおばさんにすすめられ、自転車を借りておばさんと三鷹の町を走り回り物件をあたりました。その時多摩川上水沿いのボロい二階建ての二階の真ん中があいており、「このアパートが建った時は、あちこちから見学に来たものよ。」(あんたはいつから不動産屋やってるの?)みたいな感じでしたが、そこに決めました。
部屋は台所2帖(板の間)、畳8帖だったでしょうか。もちろん風呂はありません。近くの銭湯に行くわけですが、あのころはバブルの真っ最中で、遊ぶのに忙しく、なかなか風呂に行けません。よく会社の同僚で風呂付の人のアパートで、シャワーを借りたりしていました。

そのアパートの特徴は何といってもベランダというか、物干し場というかがいきなり広いのです。畳にして3帖ぐらいはあったと思います。そこに毎日猫が遊びにきて日向ぼっこをしています。ちょっとパンの切れ端などをやったりすると情も倭寇というものです。
まだそのころは、一部土曜が半ドンだったので、14時頃帰ってきて早風呂に行き、16時頃からエルモア・ジェームスのギターなぞ聞きながら、ビール片手に猫と戯れ、武蔵野の野部を半眼で遠目に見ていたことを思い出します。

写真は最近仕入れた、踊る猫たちでございます。
2009.03.26:mameichi:コメント(0):[動植物奇想天外]

よっ、人間国宝。

  • よっ、人間国宝。
今の仕事になって大きく変わったことといえば、「朝寝坊になった!」ことが挙げられます。決して誉められたことではないのは分かってはいるのですが、実際そういうことになっています。

で、毎日「NHK朝の連続テレビ小説」を見ています。呑気なもんです。略して朝ドラなのですが、全く略になってないと思います。
また連続テレビ小説というフレーズは、あくまでも連続ラジオ小説=新諸国物語=笛吹童子&紅孔雀、とかそういうのに対してテレビ小説なのではないでしょうか。
それが映画になって東千代之介と中村錦之助がヒーローで、高千穂ひずるがヒロイン、高千穂のお父さんが「私がルールブックだ!」といった二出川球審の娘だというのはみんなが知っていた時代です。古い話です。

まあそれは兎も角、今の「だんだん」に桂米朝師匠が出演していらっしゃいます。そしてその奥さん役がかしまし娘の正司照枝が固めています。ちょっと前まで3女の花江さんも施設の入所者の役で出ていました。みなさん、古くからやってらっしゃいます。

この3人に共通することは、関西の芸人だが吉本の所属ではないということです。NHKはよく見ていると吉本の芸人は昔から重用されていないと思います。いろいろな事情があるのでしょうが、吉本がそれだけがっちり民放に食い込んでいるということでもあるのでしょう。そしてNHKには松竹芸能(現在は鶴瓶などを擁する芸能プロダクション)のコネクションがしっかりしていました。当時はかしまし娘は松竹の看板でした。

まあそんなことはどうでもいいのですが、米朝師匠、随分年を取られました。人間国宝なのだからそれはそうでしょうが。もう生の落語を聞くことは難しいと思いますが、こうやってテレビででもお会いできるというのは本当にありがたい。

まだ学校前の子供のころ、木曜日の8時からNHKでやっていた宮田輝司会の「ふるさとの歌まつり」という公開番組を見ていて花菱アチャコがゲストで登場したことがあります。両親がそれを見て「アチャコ、まだいぎで(生きて)だんだなぁ」という反応だったことが忘れられません。
TVを見ていて、自分もそういうことを思う歳になってきたな、と思う昨今です。


今日は 「愛珈琲」を製造しました。

2009.03.25:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

肉球でしょうか?

  • 肉球でしょうか?
大きなカレー皿があります。粉引きという白い器で信楽の古谷信男製陶所の作品です。その中の文様が猫の肉球に見えるのですが、いかがでしょうか。
肉じゃがなんかの煮物を大胆に盛っても面白いと思います。

マグカップも古谷さんの作品は人気です。是非手にとってご覧ください。
2009.03.25:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

以前は肌色じゃなかったでしょうか。

  • 以前は肌色じゃなかったでしょうか。
栗子トンネルの入口(出口)です。
いつの間にか白になっておりますが、前は違う色だったのではなかったのでしょうか。肌色のイメージがありますが、自信はありません。

その昔、なぜか古い鉄筋コンクリートの建物は肌色ではなかったでしょうか。
一中は肌色だったっでしょうか。白だったかなぁーー。屋根の色がいきなり変わったときがありました。多分赤から緑とかそんな感じだったと思います。かなり印象が替わりました。丁度その時米沢駅も屋根の色が変わり、同じペンキの色だったことがあったと思います。何かあったのでしょうか。風水とかでしょうか。

駅前にあった日通(昔は丸通といったと思いますが)の倉庫は肌色というよりも薄いオレンジ色で、それが汚れてかなりいい感じでしたが、2年ほど前ほごされてしまいました。(ほごす=建物などをばらすこと)
今、肌色の建物はあまり見当たりません。なぜ肌色だったのか、ちょっと不思議な感じがいたします。

明日は休みです。水曜日新しい陶器が入ったので、陳列してお待ちしております。
肌色のものはないですかね。
2009.03.23:mameichi:コメント(2):[そこいら辺を歩く]