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あのころ、、、

  • あのころ、、、
またまた昭和ネタなのですが、、、

小学校の頃、学校の周りに来ませんでした?怪しげな物売りが。
東部小学校の前はお稲荷様という神社があり、そこに来るんですよ。インチキな人々が。

どう見てもちゃんと香具師の団体に所属している人ではなく、まあ簡単にいうと寅さんのようなフリーランスな方でした。
なにか事情があって子供騙しで糊口をしのいでいる風情が子供心にもありありでした。ただそういう人は、すくなくとも子供嫌いではないですね。好きなんだけど騙しちゃうという、、、

その中でも鮮明な記憶は「磁石で動く操り人形を売る」男です。
操り人形といっても、その人形はマッチ棒を1cmぐらいに切って、下の部分に鉄粉を塗ったものだったと思います。それに折り紙がうまく巻いてあり、ちょっと見るとお武家さんのような感じで紙があわせてあります。ここまで読んでも何を言っているのか意味不明だとは思いますが、もう少し我慢してください。
その人形が5、6個ついて他にアイスクリームの棒の先に丸い磁石が付いているものが2本セットされてマッチ箱の箱に入っていました。

その男は学校が終わって帰ろうとする子供たちを待っていました。
子供たちは時々そういった面白い人が来るのは知っているので、無防備に寄っていきます。
「さあ、きょうはおじさんが面白いものを見せてあげるよ。」完全なる東京弁です。
舞台は寅さんのボストンバックの上に簡単に紙で作ってあります。真ん中に御堂のようなものが作ってあり、草や木がその周りに紙で作ってあります。
そこにさっきいった人形を置くと、舞台の下から磁石で操作して人形が動き出します。
「東山三十六景、草木も眠る丑三つ時、、、」そのころでもこのパターンの芸は古臭いものでした。でもちゃんと活動弁士の口調で、うまいので子供たちはぐっと引き込まれます。
すると舞台の御堂の扉が観音開きになっていて、いきなり開いて、そこから鞍馬天狗が現れてチャンバラになるのです。
さあどうだ、全然分かりにくいでしょう。とにかく面白かったんです。
少し盛り上がってくると、子供たちが前の方に寄っていきます。何たって目標物が小さいですから。そのとき寅さんは「おじさんのお店、壊さないでよ。」などという決まり文句であろうことを言うのです。

私は持ち合わせがなかったので、そのセットは買わなかったのですが、次の日購入した友達に見せてもらいました。割と丁寧な細工の道具が入っていました。
30円か50円ぐらいだったと思います。ですがこの芸はそのおじさんの口上と人形裁き、あと御堂のジオラマにかかっているので、道具を買っても全く役に立たないのです。
次の日学校ではあの人から買わないようにというお達しが出たのですが、先方はそんなことは先刻ご承知でもうどこかにいっちゃいました。

ちびまるこのインチキおじさん登場その通りなのですが、大好きでした、そういう人たちが。

写真は九谷焼の小皿、かなりかっこいいです。
2009.04.01:mameichi:コメント(2):[豆いち、店舗にて]

昭和の顔でやってます。

  • 昭和の顔でやってます。
昭和をどうとらえるか、ということですが。

私が子供の頃、太平洋戦争というか第二次世界大戦のことを、ちょっと年配の人は「この前の戦争」といっていました。満州事変、日華事変(これは別々でしょうか)とかを一つ一つの戦争と考えており、まだ日清戦争、日露戦争に従軍した人もいるので、「この前」なのでしょう。

昭和は結構長かったので、戦前も当然昭和になるわけですが、今の子供たちは昭和=30年代~50年ごろまでをこう呼んでいるらしいです。
それは「三丁目の夕日」とか「こち亀」あたりのイメージなのではないでしょうか。

写真は新型車両、山形新幹線の平成の顔、E3系2000番と思われます。 
2009.04.01:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

丸に十五枚笹。

  • 丸に十五枚笹。
私は石塚という姓なのですが、多分先祖は上杉家に付いて米沢に来たと思われ、少なくとも四百年ぐらい米沢暮らしと思われます。足軽の中の足軽ということで、ずっとやってるのですが不思議なことに市内に同じ姓の親戚が一軒もありません。

四百年もやってれば少なくとも二軒や三軒は親類のものが近くにあってもおかしくありません。同じ姓の家は市内に十何軒もありますが、一回もそういう人に出会ったことはないのです。これは最大の謎ですね、石塚家にとって。

なんか結核の家系であんまり長生きしなかったといいます。多分子供もすくなかったのでしょう。まあ私の親が全く代替わりをしているのでその系統は絶えたのですが。

うちにも家紋というものがあります。これがちょっと珍しい。丸に十五枚笹という紋です。笹紋は上杉家もそうなので何か関係があるのかなぁ、それにしては足軽すぎるし、、、などと思っていたところ、ネットで苗字から主な家紋を引っ張るサイトがあって、自分の苗字を入れたところ十五枚笹はなかったが、丸に九枚笹が出てきました。九枚笹という家紋は三方に三枚づつ笹の葉がデザインされていて、十五枚笹はそれに二枚づつ足した紋なので、系統としては同じだと思います。一応そういう筋のなかに入ってる家系のようです。

石塚という苗字で丸に十五枚笹の方、是非名乗り出てください。宴会をしましょう!(うちの弟以外の方でお願いします。)
2009.03.30:mameichi:コメント(6):[家庭の事情は!]

チュートリアル。

  • チュートリアル。
吾が息子4歳は戦隊モノが大好きです。いまはシンケンジャーですが、一寸前までやっていたゴーオンジャーがお気に入りのようです。

ウルトラシリーズが始まったのが1966年、仮面ライダーが1971年、その後ゴレンジャーが1975年もはや34年間この3つで男の子心を鷲摑みにしている訳です。
今回私の弟が一家で帰郷しました。次男の甥っ子は円谷プロ命ということで、自分が子供の頃母親に買ってもらった大伴昌司のカラー版 怪獣ウルトラ図鑑をお土産に渡しました。彼は絵の才能があるようで、西埼玉で特選だったとのことです。

さて家の子ですが、絵を書くのが大好きらしく、題して「パパとママとみんな」ということです。そして「○○(自分の名前)はお絵かきとくいし、あそびもとくいけど、、、」などと故藤村有弘演じるなぞの中国人の風情です。
よく聞いてみると、うまいとか、寒いと同様に、とく-いという形容詞として捉えているらしいです。
「ボール投げは苦手だ」というのは親父と全く同じですが、、、
2009.03.29:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

商売の先輩。

  • 商売の先輩。
今日かみさんの爺ちゃんが店を訪ねてくれました。御年101歳、今まで来たお客様の中でも最高齢でしょう。

米沢の旧市内の学校の校庭の端っこには、大概小山があります。名前がついていたりして、冬はスキーにも活躍します。南部小学校の山は三の丸の土塁のあとではと思っているのですが、どうでしょう。

私が通っていた東武小学校にも、米坂線と道路が走っている脇に東栄山という相撲取りにいてもおかしくない、立派な名前の山があります。東側が急で道路に近く、西側はなだらかになっています。
その南東裏に小さな商店があったのを憶えているでしょうか。(東武地区限定)
仮にG商店としましょう。私も時々行っていました。通常買い食いや怪獣の写真を買うのは、信濃町大日堂前の吉野屋(吉野家ではありません。毎日通いました。)なのですが、グランドで遊んでいて、のどが渇いたときにファンタを買ったりするのはG店(みせ)でした。

その店は随分前に廃業して、今はないのですが、そこの店主がかみさんの爺ちゃんを訪ねてやってきた話を聞きました。
現在93歳位で福島に住んでおり、米沢が懐かしくてやってきたというのです。しかも知り合いの人に乗っけてもらって。
その知り合いの人も断ったのだが、何回も頼まれるので情にほだされてきた様子だったとのことでした。
それがただ会いに来たのではなく、リンゴを仕入れてこれを買ってくれという販売だったというから驚きです。
現在でも福島で現役で行商をしているそうで、現役バリバリなのです。
但し今回の米沢遠征はそのお付の人によると、訪ねた人の殆んどが亡くなっていて、空振りが多かったそうです。

でも、商売元気だったらいつまでも出来ますね。

写真は数日前のカレー&フルーツサラダ、息子に大好評でした。
2009.03.28:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]