百年前之上杉軍団雄姿
明治四十一年東宮行啓記念川中島擬戦実況絵葉書其一
○川中島擬戦 本陣小荷駄 明治41年9月16日
右側に米沢名物、ウコギの垣根(食用です)
HOME > 記事一覧
道中日記を今日から読む。
前田慶次の会に入会したのはよいのですが、私は花の慶次の漫画も読んでないし、パチンコもやらないので今日から道中日記を読むことにしました。
また会より立派な会員証も送付されてきました。
本日から前田慶次の会の会員証を提示された方には、絵葉書を1割引にて提供いたします。是非お声掛けください。
ちょっと解説を読んで驚いたのは、元々上杉家に在った訳ではないのね、この旅日記。中村忠雄氏によれば、「本書は、昭和の初めに骨董商永森氏らの手を経、当時東大文学部文書科勤務、米沢出身の志賀槇太郎氏の手に入り、昭和九年に米沢郷土館の所蔵となった。」ということで、文中に出てくる永森氏というのは、現在神田神保町で盛業中の秦川堂書店、それと以前は街の風といっていた永森書店と同じ姓のため、関係者と思われます。また得意なんだ、こういう変わったものが。
上記2軒からは私も地図を始め、何点か資料を購入しているのです。また何か出物があるかもしれません。但し山形のものは少ない方だと秦川堂書店の社長は言ってましたが。
また会より立派な会員証も送付されてきました。
本日から前田慶次の会の会員証を提示された方には、絵葉書を1割引にて提供いたします。是非お声掛けください。
ちょっと解説を読んで驚いたのは、元々上杉家に在った訳ではないのね、この旅日記。中村忠雄氏によれば、「本書は、昭和の初めに骨董商永森氏らの手を経、当時東大文学部文書科勤務、米沢出身の志賀槇太郎氏の手に入り、昭和九年に米沢郷土館の所蔵となった。」ということで、文中に出てくる永森氏というのは、現在神田神保町で盛業中の秦川堂書店、それと以前は街の風といっていた永森書店と同じ姓のため、関係者と思われます。また得意なんだ、こういう変わったものが。
上記2軒からは私も地図を始め、何点か資料を購入しているのです。また何か出物があるかもしれません。但し山形のものは少ない方だと秦川堂書店の社長は言ってましたが。
2009.04.03:mameichi:コメント(0):[米沢城下に江戸を訪ねる]
見世物小屋が来てた頃。
上杉神社というか、松ヶ岬公園内に弓道場がありました。北側の土手の脇に。
よくそこに見世物小屋が掛っていました。
おどろおどろしい幕に描いてある蛇女やろくろっ首の絵につられて、一回だけ入ったことがあります。内容は、、、、忘れたなぁ。
その後米沢駅の現在郵便局が立っている場所が空き地だったころ、多分小学4年生ごろだったでしょうか。なんと学校で割引券を渡したのです。いい時代というか、いい加減な時代というか、、、
それも内容はあまり覚えていませんが、火を噴く女と大蛇がいたと思います。50円ぐらいだったと思います。
そして東京にいたころ友達と新宿の花園神社の酉の市にお参りに行ったとき、久々に中に入りました。小人の人が客入れの口上をやっていたのは、小学4年に見た人と同じだったのかもしれません。内容は、、、、あまり覚えていません。500円ぐらい取られたでしょうか。なにせバブルの時代でしたので。
機会があれば、また見てみたいものです。
写真はゆずりはのフリーカップ、美しいですよ。
よくそこに見世物小屋が掛っていました。
おどろおどろしい幕に描いてある蛇女やろくろっ首の絵につられて、一回だけ入ったことがあります。内容は、、、、忘れたなぁ。
その後米沢駅の現在郵便局が立っている場所が空き地だったころ、多分小学4年生ごろだったでしょうか。なんと学校で割引券を渡したのです。いい時代というか、いい加減な時代というか、、、
それも内容はあまり覚えていませんが、火を噴く女と大蛇がいたと思います。50円ぐらいだったと思います。
そして東京にいたころ友達と新宿の花園神社の酉の市にお参りに行ったとき、久々に中に入りました。小人の人が客入れの口上をやっていたのは、小学4年に見た人と同じだったのかもしれません。内容は、、、、あまり覚えていません。500円ぐらい取られたでしょうか。なにせバブルの時代でしたので。
機会があれば、また見てみたいものです。
写真はゆずりはのフリーカップ、美しいですよ。