米澤市松ヶ岬公園ノ櫻 花屋商店発行
手彩色といって、モノクロに筆で着色したものです。
まだカラー写真の技術は導入されていませんでした。いくらかでもその雰囲気を味わうための手法です。
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鳥取りの系譜。
私の先祖は鳥取りをして生計を立てていた時期があるらしいです。
明治32年の免許町火事の時に、東部小学校の前身である華渓学校が焼失しました。その学校は常信庵の隣にあり、須藤兵八郎という剣術指南でその後消防の隊長になった方の道場だったと思います。
そこが焼けたので今の米坂線のカーブのところになったわけですが、ここのグランドの土地の一部は、実はうちの土地だったのです。簡単にいうと原野で、ここでかすみ網を張って取り鳥をしていたらしいのです。
元々は武士というか足軽のなかの足軽というか、参勤交代のとき先頭でしたにぃー、したーにぃーという係りだったとも聞いたことがあります。実家には江戸侍の武鑑などもあったので、江戸詰めのときもあったのでしょう。
江戸にいる時、足軽なんぞは何をしていたのでしょうか。門番とか警備員のようなことをやったりしていたのでしょうか。
我が家は、その当時ハリセンボン同様結核の巻きだったらしく、あまりちゃんとした仕事が出来ない人もいたようで取り鳥でしのいでいた時期もあったようです。場所柄新築といった福田遊廓の料理屋などに納めていたのでしょうか。
そういえば、かみさんの生まれが堂森なのです。そして、最近有名になってしまった前田さんが月見をしていた堂森山で、こちらのご先祖もなんと取り鳥をしていた時期があるらしいのです。東京庵あたりに納めていたのではということなので、もしかしたら先祖同士が料理屋の裏木戸で鉢合わせしていたかもしれません。
こんなわけで、鳥取り繋がりというのは結構珍しいのではないでしょうか。
写真は堤防の桜ですが、この向こうにも先祖が無駄に残した微妙な杉林があるのです。その話はまた後ほど。
明治32年の免許町火事の時に、東部小学校の前身である華渓学校が焼失しました。その学校は常信庵の隣にあり、須藤兵八郎という剣術指南でその後消防の隊長になった方の道場だったと思います。
そこが焼けたので今の米坂線のカーブのところになったわけですが、ここのグランドの土地の一部は、実はうちの土地だったのです。簡単にいうと原野で、ここでかすみ網を張って取り鳥をしていたらしいのです。
元々は武士というか足軽のなかの足軽というか、参勤交代のとき先頭でしたにぃー、したーにぃーという係りだったとも聞いたことがあります。実家には江戸侍の武鑑などもあったので、江戸詰めのときもあったのでしょう。
江戸にいる時、足軽なんぞは何をしていたのでしょうか。門番とか警備員のようなことをやったりしていたのでしょうか。
我が家は、その当時ハリセンボン同様結核の巻きだったらしく、あまりちゃんとした仕事が出来ない人もいたようで取り鳥でしのいでいた時期もあったようです。場所柄新築といった福田遊廓の料理屋などに納めていたのでしょうか。
そういえば、かみさんの生まれが堂森なのです。そして、最近有名になってしまった前田さんが月見をしていた堂森山で、こちらのご先祖もなんと取り鳥をしていた時期があるらしいのです。東京庵あたりに納めていたのではということなので、もしかしたら先祖同士が料理屋の裏木戸で鉢合わせしていたかもしれません。
こんなわけで、鳥取り繋がりというのは結構珍しいのではないでしょうか。
写真は堤防の桜ですが、この向こうにも先祖が無駄に残した微妙な杉林があるのです。その話はまた後ほど。
みんな大好きメロンパン!!
私的には、中に餡のあるものが充実感があって好きなので、この類のパンはあまり購入することはありません。
但し、現在中にジャムなどが入っているメロンパンも出回っているではありませんか。
食品の業界の末席にいたので、こういうものには目がなく、一度は食べてみるわけです。
新宿の駅前の果専店T(果実専門店の略、一部でしか通用しない略記号だと思います。)でだしているメロンパンは、メロンのクリームが入っています。確かにおいしかったと記憶します。その後苺のメロンパンとか、マンゴーのメロンパンとか、桃のメロンパンとか、一杯出てきたわけですよ。この名前でもいいのですか?といいたい気持ち一杯でした。
実際メロンパンというもの自体がメロンの味追求ではなく、マスクメロン風の形状重視だったため、いちごのメロンパンなのでしょう。
うちの子供の絵もこういうことになっているのでしょう。家でメロンを食べることは滅多にないですし。
果専店Tでは多分学生時代、手塚治虫先生を見かけたことがあります。ベレー帽で打合せっぽかったです。何で学生がフルーツ・パーラーにいたかの記憶はありません。
但し、現在中にジャムなどが入っているメロンパンも出回っているではありませんか。
食品の業界の末席にいたので、こういうものには目がなく、一度は食べてみるわけです。
新宿の駅前の果専店T(果実専門店の略、一部でしか通用しない略記号だと思います。)でだしているメロンパンは、メロンのクリームが入っています。確かにおいしかったと記憶します。その後苺のメロンパンとか、マンゴーのメロンパンとか、桃のメロンパンとか、一杯出てきたわけですよ。この名前でもいいのですか?といいたい気持ち一杯でした。
実際メロンパンというもの自体がメロンの味追求ではなく、マスクメロン風の形状重視だったため、いちごのメロンパンなのでしょう。
うちの子供の絵もこういうことになっているのでしょう。家でメロンを食べることは滅多にないですし。
果専店Tでは多分学生時代、手塚治虫先生を見かけたことがあります。ベレー帽で打合せっぽかったです。何で学生がフルーツ・パーラーにいたかの記憶はありません。