日傘の女性が二人、そして高札の下に子供が一人。
県社になったのが明治5年11月(置賜県)、別格官幣社明治36年4月26日です。
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お隣のお祖母さんを悼む。
豆いちの南隣には会津屋さんという古くからの米穀店があります。時々灯油を買ったり、ごみ袋を買ったり、カップヌードルを買いに行きます。
そしておばあさんがいつも店番をしていたのですが、5月7日に急遽お亡くなりになりました。享年87歳、5月5日まで普通に店番をしていて、少し調子が悪いとのことで入院、眠るように亡くなったとのことでした。
旦那さんを早く亡くされ、女手一つで子供を育てながら50年間店を切り盛りされたそうです。人によっておまけをしてくれるらしく、カップヌードルを買う時「130円でいいがら」といってもらっていました。
「今はみんな朝ごはん食べなくなって、おたくのコーヒー一杯で会社さいぐなだもなぁー。んだがら米屋は大変なんだ。これがらはおたくみたいな商売いいなだべなぁ。」などといってもらいました。
入院してからもあれとこれを仕入れするようにと最後まで商売の話だったとのことです。
いつも黒米を指で丁寧に選っていたのが印象的です。ちょっとのお付き合いでしたがお世話になりありがとうございした。
心よりご冥福をお祈りします。
そしておばあさんがいつも店番をしていたのですが、5月7日に急遽お亡くなりになりました。享年87歳、5月5日まで普通に店番をしていて、少し調子が悪いとのことで入院、眠るように亡くなったとのことでした。
旦那さんを早く亡くされ、女手一つで子供を育てながら50年間店を切り盛りされたそうです。人によっておまけをしてくれるらしく、カップヌードルを買う時「130円でいいがら」といってもらっていました。
「今はみんな朝ごはん食べなくなって、おたくのコーヒー一杯で会社さいぐなだもなぁー。んだがら米屋は大変なんだ。これがらはおたくみたいな商売いいなだべなぁ。」などといってもらいました。
入院してからもあれとこれを仕入れするようにと最後まで商売の話だったとのことです。
いつも黒米を指で丁寧に選っていたのが印象的です。ちょっとのお付き合いでしたがお世話になりありがとうございした。
心よりご冥福をお祈りします。