「火事喧嘩 伊勢屋稲荷に初鰹 その名物の数ある中で 火事と喧嘩は江戸の華 背中に彫った彫り物が一二、三次の名を残す 体一面野狐の少年時代の物語 お粗末ながらも勉めましょう」
中学高校のときに憶えたものですが、これは春日清鶴(かすがせいかく)という先生の節で、小粋な江戸前の芸だったと聞かされたものです。これを覚えた頃には本人はとうに亡くなっていました。大学のゼミの宴会でこれと虎造だかをやらしてもらった事があります。今考えてもかなり恥ずかしいです。
そのころは浪曲という芸はもはやかなりマイナーになってはいましたが、NHK第一の「浪曲十八番」とかまだ民放でも「早起き名人会」などというところで一週間に2回ぐらいは聞けたものでした。また夏になるとNHKTV「昼のプレゼント」で浪曲道場ということであのころは東家浦太郎師匠が師範代となり素人のど自慢をやっていました。60過ぎの農家の親父とかがまた、うまいんだこれが。
自分が好きな物語と音楽が一体になっているこんなに面白い芸がなぜ廃れていくんだろう、などと子供心に思っていました。浪曲物真似の前田勝之助なんていうひととか浪曲手品の布目貫一なんという人もいました、いました。
米沢に帰ってきたのが20年ほど前でしょうか。世の中はCDの時代になっていましたが私はまだレコードしか持っていなかったんですね、考えてみれば。長井のTASの近くにあったホームセンター(今はない)で廣澤虎造3枚組みのCDを購入、それからCDウォークマンみたいなものを買ったのがCD体験の始まりでした。
そのCDも何となく命脈尽きそうな雰囲気ですね。MDあたりはほぼ終わってますし。無駄に道具を買わせられた感があるのは否めません。
多分生で聞いたのは1,2回でしょう。しかも誰のかはなぜか覚えていません。
是非聞いてみませんか。面白いんだから、虎造からね。
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サイフォンを使ってみる。
あるお客様より、一回サイフォンで、とのリクエストがあり今日は実家から道具を借りて練習してみました。
コーノ式といい、日本では一番の老舗でしょう。これ自体もうちの両親が結婚した時に友人からもらったものだそうで、47年前のものということになります。ほとんどさびなどや傷もなく、新しいフィルターに交換してやってみました。今週はこの練習を何回かやろうと思うので、たまたまその時に当たったお客様はお付き合いください。
そのころ米沢でコーヒー豆は売っていたのか?という疑問が沸きますね。両親の記憶はなく、その時は東京出張で多分三越とかそういうところから仕入れたであろうということでした。私も紅白歌合戦を見ながら、この不思議な機械を操るおやじの姿をおぼろげに記憶しています。ただしその時のスペシャルとして子供も赤玉スィートワインを薬杯に少しだけ飲んでいい、という豪華版も用意されていたので、味はその方しか覚えていません。
米沢では現在大沼になってるところに和田屋が、あとは松島屋に喫茶室があったということでこの辺で分けてもらうことは可能だったかもしれません。あとはレストランの紅屋とかそういうところでしょう。
その後松島屋さんの旦那さんが好きでコーヒー豆を半ば趣味で扱っていたということです。またかなり立派なダッチコーヒーの器具もあったらしいです。
和田屋は私自身の記憶には全く残っていないのですが、うちの祖母が私をよく連れて行ったという話を母から今日聞きました。メロンソーダでもすすっていたのでしょうか。
山形の今は大企業になった菓子屋の大将は、子供のころ父親に連れられて和田屋に挨拶に来たそうです。お菓子屋でこんな大きいのがあるのだとびっくりしたと話してくれました。今は軽く越しちゃいましたけど。
コーノ式といい、日本では一番の老舗でしょう。これ自体もうちの両親が結婚した時に友人からもらったものだそうで、47年前のものということになります。ほとんどさびなどや傷もなく、新しいフィルターに交換してやってみました。今週はこの練習を何回かやろうと思うので、たまたまその時に当たったお客様はお付き合いください。
そのころ米沢でコーヒー豆は売っていたのか?という疑問が沸きますね。両親の記憶はなく、その時は東京出張で多分三越とかそういうところから仕入れたであろうということでした。私も紅白歌合戦を見ながら、この不思議な機械を操るおやじの姿をおぼろげに記憶しています。ただしその時のスペシャルとして子供も赤玉スィートワインを薬杯に少しだけ飲んでいい、という豪華版も用意されていたので、味はその方しか覚えていません。
米沢では現在大沼になってるところに和田屋が、あとは松島屋に喫茶室があったということでこの辺で分けてもらうことは可能だったかもしれません。あとはレストランの紅屋とかそういうところでしょう。
その後松島屋さんの旦那さんが好きでコーヒー豆を半ば趣味で扱っていたということです。またかなり立派なダッチコーヒーの器具もあったらしいです。
和田屋は私自身の記憶には全く残っていないのですが、うちの祖母が私をよく連れて行ったという話を母から今日聞きました。メロンソーダでもすすっていたのでしょうか。
山形の今は大企業になった菓子屋の大将は、子供のころ父親に連れられて和田屋に挨拶に来たそうです。お菓子屋でこんな大きいのがあるのだとびっくりしたと話してくれました。今は軽く越しちゃいましたけど。