別格官幣上杉神社遷座大祭記念 上杉神社
白い狛犬と、今よりもちょっとみやびな感じがします。
お参りにきた白い前掛けを附けた子供とおばあちゃんがいい味出しています。
大正12年4月
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あまり面白くない漫才。
わたしにとっては、ということになりますが。
マキノ洋一・初枝という漫才師をご存知でしょうか。知ってる方は是非連絡を!語り合いましょう。
いまでは余り見られなくなりましたが、男性がアコーディオン、女性が三味線を持って出てくる古い漫才でした。
私が見たのは、米沢で行われた新春寄席という催しでした。多分毎年行っていたはずだが、私が見に行ったのはその時一回きりです。
マキノという片仮名の亭号を使っているところをみると、マキノ省三率いるマキノ映画の系統でしょうか。省三の息子で東映でエンターテイメントピクチュア(主に実録なんとかいうヤクザ映画とか清水の次郎長、、、これもヤクザ映画ですね)を撮っていたマキノ雅弘亡き後は、沖縄アクターズスクールのマキノ正幸(雅弘の長男)、津川雅彦(雅弘の甥)が映画監督のときに用いるマキノ雅彦がこの姓を用いています。
芸能の歴史の深さを感じます。アムロもスピードもこの上に乗っかっているわけですねぇ。
滋賀県高島市(高島屋発祥の地)マキノ町というのもなぜか片仮名です。
紅茶キノコなどを流行らせた出版社もマキノ出版です。
なぜ片仮名なのだろう。ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
さてこの漫才、たぶん最初から最後までほとんどくすりともしなかったと思います。だれもガハハなんて笑う人はいません。
だからといってそれが悪いわけではなく、口座にはいい風が吹いているのです。
筋はもう何十年もまえに書かれたもので、殆んどこのネタで来た方々なのでしょう。なにか軽いコント風のお話の落ちのあと、簡単なミュージックでブリッジする感じです。
だからお客の笑いがなくとも淡々とネタは進んでいきます。その進み方がまあ、自然なのですね。なんかフランス小咄みたいな感じもしました。なにをもってフランス小咄かは分かりませんが。
こういう漫才もあるし、これもいいと思います。20年ぐらい前の話です。その頃でもすごく時代錯誤を感じました。よくも平成まで残ったなと。もし健在であればまた見てみたいと思います。一回松尽くし(松を書いた扇をいっぱいにもって踊るやつ、現在では玉川スミ師はやれねぇかなぁ、90近いし)で花王名人劇場かなんかに出たような気もするのですが、はっきり分かりません。
17、8年前に談志師匠が書いた本に、懐かしの漫才としてマキノ洋一・初枝とありました。本人を見てから2,3年しか経っていなかったので、不思議な感じがしました。中央の歴史からは既に消えていたのでしょう。
マキノ洋一・初枝という漫才師をご存知でしょうか。知ってる方は是非連絡を!語り合いましょう。
いまでは余り見られなくなりましたが、男性がアコーディオン、女性が三味線を持って出てくる古い漫才でした。
私が見たのは、米沢で行われた新春寄席という催しでした。多分毎年行っていたはずだが、私が見に行ったのはその時一回きりです。
マキノという片仮名の亭号を使っているところをみると、マキノ省三率いるマキノ映画の系統でしょうか。省三の息子で東映でエンターテイメントピクチュア(主に実録なんとかいうヤクザ映画とか清水の次郎長、、、これもヤクザ映画ですね)を撮っていたマキノ雅弘亡き後は、沖縄アクターズスクールのマキノ正幸(雅弘の長男)、津川雅彦(雅弘の甥)が映画監督のときに用いるマキノ雅彦がこの姓を用いています。
芸能の歴史の深さを感じます。アムロもスピードもこの上に乗っかっているわけですねぇ。
滋賀県高島市(高島屋発祥の地)マキノ町というのもなぜか片仮名です。
紅茶キノコなどを流行らせた出版社もマキノ出版です。
なぜ片仮名なのだろう。ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
さてこの漫才、たぶん最初から最後までほとんどくすりともしなかったと思います。だれもガハハなんて笑う人はいません。
だからといってそれが悪いわけではなく、口座にはいい風が吹いているのです。
筋はもう何十年もまえに書かれたもので、殆んどこのネタで来た方々なのでしょう。なにか軽いコント風のお話の落ちのあと、簡単なミュージックでブリッジする感じです。
だからお客の笑いがなくとも淡々とネタは進んでいきます。その進み方がまあ、自然なのですね。なんかフランス小咄みたいな感じもしました。なにをもってフランス小咄かは分かりませんが。
こういう漫才もあるし、これもいいと思います。20年ぐらい前の話です。その頃でもすごく時代錯誤を感じました。よくも平成まで残ったなと。もし健在であればまた見てみたいと思います。一回松尽くし(松を書いた扇をいっぱいにもって踊るやつ、現在では玉川スミ師はやれねぇかなぁ、90近いし)で花王名人劇場かなんかに出たような気もするのですが、はっきり分かりません。
17、8年前に談志師匠が書いた本に、懐かしの漫才としてマキノ洋一・初枝とありました。本人を見てから2,3年しか経っていなかったので、不思議な感じがしました。中央の歴史からは既に消えていたのでしょう。
いつも同じネタでも通用する。
究極な芸ということでしょう。おなじみというやつです。
実際はやっている方がそれに耐えられず、代えてします。人気急下降という末路を辿ります。
そういう意味ではツービートの漫才というのは、いつも同じでした。ネタは違っても。しかもそれが面白い。
例えばB&B(裏返しにはならないみたいです、この機械では)とか紳助竜助ではそうはいかない。
いいときはいいけれど、急激に面白くなくなるわけです、変えた時から。
ツービートで好きだったネタは
た「こいつなんか山形ですから」
き「こいつっていうことないーでしょ」
た「いまだに竹槍でB29落とそうとしてるんですから」
き「やめなさい」
た「田舎だと鼻水拭くときでも、学生の頃は学ランの袖で拭くんですから」
き「山形寒いですからね」
た「ずぅーっと拭いてると、そこんところだけテカテカになって、そこんところを太陽 にかざして反射させてB29落としたのこいつですから」
き「できるわけねーだろ」
それ以前では、筆頭に挙げられるのがレッドスネークカモンの東京コミックショー
、浪曲物真似の前田勝之助、早野凡平の帽子、こういう芸人は、いくらもいました。通常はそれで全国が回れたのです。
早野凡平という方と同じ舞台に立ったことがあります。三遊亭円歌師匠も一緒でした。その時の凡平師匠は主にホンジャマの帽子だったと思います。その後見た時にパイプオルガンというネタが完成していました。
それは掃除機のホースのようなものを音階ごとに切り分け、その2本をひもで首にぶら下げて(多分全部で6本)それを回すことによりホーッという音が出てその組み合わせによって音楽を奏でるというものです。
ほーら、何言ってるのか分からないでしょう。書いてる本人も怪しいです。
まあそれを奏でながら歌って踊るわけです。曲はなんと「荒城の月」。
ホースを汗だくで回している早野凡平氏を思い出します。
そして私が競演した様子は、、、
ここまで、不便ながらも明日口演。
尚写真は若葉溢れる芳泉町入口の橋場にある槐壇(さいかちだん)です。
実際はやっている方がそれに耐えられず、代えてします。人気急下降という末路を辿ります。
そういう意味ではツービートの漫才というのは、いつも同じでした。ネタは違っても。しかもそれが面白い。
例えばB&B(裏返しにはならないみたいです、この機械では)とか紳助竜助ではそうはいかない。
いいときはいいけれど、急激に面白くなくなるわけです、変えた時から。
ツービートで好きだったネタは
た「こいつなんか山形ですから」
き「こいつっていうことないーでしょ」
た「いまだに竹槍でB29落とそうとしてるんですから」
き「やめなさい」
た「田舎だと鼻水拭くときでも、学生の頃は学ランの袖で拭くんですから」
き「山形寒いですからね」
た「ずぅーっと拭いてると、そこんところだけテカテカになって、そこんところを太陽 にかざして反射させてB29落としたのこいつですから」
き「できるわけねーだろ」
それ以前では、筆頭に挙げられるのがレッドスネークカモンの東京コミックショー
、浪曲物真似の前田勝之助、早野凡平の帽子、こういう芸人は、いくらもいました。通常はそれで全国が回れたのです。
早野凡平という方と同じ舞台に立ったことがあります。三遊亭円歌師匠も一緒でした。その時の凡平師匠は主にホンジャマの帽子だったと思います。その後見た時にパイプオルガンというネタが完成していました。
それは掃除機のホースのようなものを音階ごとに切り分け、その2本をひもで首にぶら下げて(多分全部で6本)それを回すことによりホーッという音が出てその組み合わせによって音楽を奏でるというものです。
ほーら、何言ってるのか分からないでしょう。書いてる本人も怪しいです。
まあそれを奏でながら歌って踊るわけです。曲はなんと「荒城の月」。
ホースを汗だくで回している早野凡平氏を思い出します。
そして私が競演した様子は、、、
ここまで、不便ながらも明日口演。
尚写真は若葉溢れる芳泉町入口の橋場にある槐壇(さいかちだん)です。