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山岳遭難に思う。

  • 山岳遭難に思う。
昔、山登りをしていた自分としては、こういうことがあるといろんな事を思います。

高校時代3年間山岳部にいました。この山岳部は毎年文化祭で展示をするという文科系運動部で、毎回山行の記録の冊子も出していました。

いつだったかこの冊子にある顧問が「軽いザックと重い責任」というような題で顧問の意義のようなことを書かれました。
簡単にいうと顧問のザックが軽いのは、生徒が歩けなくなった場合背負うためだと、、、ただしその頃顧問は33歳ぐらい、でもほんとに生徒をおぶることが出来るだろうか、、、というようなニュアンスだったと思います。

今回お亡くなりになった方は59歳から69歳、中にはガイドの方もいて61歳だったそうです。
61歳のガイドの方は69歳の方を背負う覚悟があったのかなぁ。 
それを言ったら酷なのでしょうか。

今から14、5年前でしょうか。はじめて北アルプスというところに足を踏み入れました。白馬岳(はくばではないです。しろうまです。)の大雪渓をやっとこさ登り、小屋に入ろうとすると大勢のお年寄りのツアーが空身で登ってヘリコプターで上げたリュックを受け取っていました。
いやぁ、無茶苦茶な時代になったものだと顔をしかめました。

私はその後飯豊山に登ろうとした時自分の自重に足が悲鳴を上げて、一緒に登った友人にはすまないと思いましたが、降りてきました。
その後あんまり登っていません。

山は行けば楽しいのは分かっています。行くまでは辛いことも多く危険も伴います。それを跳ね返せるのは自分の体力だと思います。体力に見合った山を選びたいものです。

ツアーという方法が山登りに使えるのか、私にはかなり疑問に思えます。
気心の知れた仲間と助け合う、それでも思うほどうまくいかないことも多いものです。若くても老いていても山の上では自分のことで精一杯なのです。

あくまでも責任は自分にあるといいたいし、他人の責任を背負って商売が出来るほど甘いものではないことは、ちょっと登った人ならすぐ分かるはずです。




2009.07.17:mameichi:コメント(0):[豆いち、店舗にて]

本日の絵葉書7月16日 その84

  • 本日の絵葉書7月16日 その84
別格官幣上杉神社遷座大祭記念  海産物商組合大鯛山車

元気のいい居丈夫の魚屋の大将が大勢写っています。
そして鯛の張りぼての見事なこと、うまくデフォルメされています。
場所は豆いちから歩いて30秒、現在の八百勘本店、当時のカネ上佐野水産だと思います。
後ろの建物はその後タクシー会社(ツバメか?)の車庫として、八百勘さんが移ってくるまで使われていました。
そして角には大町交番がありました。この辺を通るといさば臭い匂いがした記憶があります。
写っている学帽の子供は健在であれば90歳以上でしょう。

2009.07.16:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

本日の絵葉書7月15日 その83

  • 本日の絵葉書7月15日 その83
別格官幣上杉神社遷座大祭記念  祭礼の雑踏

上杉神社の東北堀と松岬神社の間の道路には今も縁日が立ちます。
この写真とは違って現在は松岬神社側に店が並びます。

現在では店全体の道具はトラックで運んできますが、その昔は最低の商品と道具のみを汽車で運び、店を作る細木はその土地の親分の仕込みでした。
場所決めも間違いが起きないように決めていたそうです。昨日の写真のような大きいサーカス団などが来る場合、その材木の数も半端でないので、その材料を集める親分の器量が問われました。

子供たちの晴れ着を着たうきうき気分が伝わってきます。
2009.07.15:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

街道を行く。

  • 街道を行く。
先週のことですが、会津西街道を南へ南へ、喜多方、会津若松、鬼怒川、日光を抜けて足尾、大間々、前橋、そして高崎に行ってきました。遠かったー。
会津西街道は関東側からの呼称で、会津側から言うと南山通り、或いは下野街道といいました。

この街道は会津藩の参勤交代のルートであったわけですが、他にも新発田、村上、庄内、米沢の各藩が利用していたと書かれています。

米沢藩に関しては通常板谷峠を越えて奥州街道から江戸に向かうのがセオリーなのでしょうが、羽州街道(多分高畠、二井宿周り)から行ったという記録もあり、いろいろな事情により使い分けていたのかもしれません。

うちのご先祖様は奴さんの前に立って「下にぃー、下にぃー」という役だったと聞いたことがあります。小屋に武鑑(大名・旗本などの詳細な情報本)もあったので江戸詰めの時もあったらしいのです。
あの武鑑どこにいったかなぁ。。。

写真は若松城。
幕末上杉は義の精神を発揮できませんでした。
2009.07.15:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

本日の絵葉書7月13日 その82

  • 本日の絵葉書7月13日 その82
別格官幣上杉神社遷座大祭記念 神社通奉祝門

左の旗には「本部矢野・・・」と書いてあるので、多分矢野サーカス(曲馬団)だと思われます。
現在日本には木下、キグレ、柿沼、そして平成8年に旗揚げしたポップサーカスの4団体があります。矢野は木下の弟が始めたサーカス団で、平成8年に休止しました。
ポップサーカスは7月18日より8月30日まで庄内イオン三川駐車場にて公演するとのことです。

子供のころは場所柄シバタサーカス(新潟の新発田が本拠地だと聞いたことがあります)が松川橋の下の河原に来り、柿沼、キグレ、木下もやってきました。旧二中グランドにもいろいろ来たような気がします。授業中象が啼いたりして落ち着かなかったと聞いたこともあります。
現在の市役所のセブンイレブンあたりにも来たような気がします。キグレだったかなぁ。

お祭りの頃の子供たちのやんちゃな笑顔が印象的です。
2009.07.13:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]