今年は子供が生まれる年で、この間友人に男の子が生まれました。
パパもデカといわれてますが、子供もおっきかったようです。
高齢化の時代、とてもうれしいニュースが続きました。
みんな元気に大きくなってほしいと思います。
さて、生まれる人もあれば亡くなる人もいます。
今日の新聞にクリス・コナーの訃報が掲載されていました。
写真のアルバムを、朝から探せども探せどもみつからなくて、やっとさっき出てきました。
ベツレヘム盤でピアノがトニー・ベネットの伴奏でおなじみの英国人ラルフ・シャロン、ハービー・マンのフルートにJ&Kのトロンボーン、ジョー・ピューマのギターとオールスターズが伴奏を付けております。
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9月のブレンド 「彩る月」(いろどるつき)
軽い苦味と微かなフルーツを思わせる酸味のブレンドです。
ブラジル サントス No2とコロンビア スプレモスクリーン18upの他にメキシコとモカマタリがブレンド、世界の豆が複雑に絡み合ったブレンドをお楽しみください。
ブラジル等級:No2スクリーン18
地域/農園/農園主:サンパウロ州モジアナ地区/21の農園
世界最大の珈琲生産国、世界の生産量の30%を占める大国。「ブラジル」は、広大な生産地域により珈琲の味が異なるため、当店では、セラード・モジアナ・ミナス産地(標高850~1150m)のグリーンビーンズをブレンド・焙煎して、「ブラジル」本来の味である甘味・ソフトな苦味・スッキリした味わいを、一年をとうして作り出しております。
コロンビアの持つ柔らかな酸味・甘味・強いボディ・そしてクセのないフレーバーを醸しだす為に、産地指定・品種ティピカ・カツゥーラ・ブルボンをブレンド・焙煎しております。
スクリーンサイズ18up
標高:1100m~1800m
※通常スプレモはスクリーサイズ17up
ブラジル サントス No2とコロンビア スプレモスクリーン18upの他にメキシコとモカマタリがブレンド、世界の豆が複雑に絡み合ったブレンドをお楽しみください。
ブラジル等級:No2スクリーン18
地域/農園/農園主:サンパウロ州モジアナ地区/21の農園
世界最大の珈琲生産国、世界の生産量の30%を占める大国。「ブラジル」は、広大な生産地域により珈琲の味が異なるため、当店では、セラード・モジアナ・ミナス産地(標高850~1150m)のグリーンビーンズをブレンド・焙煎して、「ブラジル」本来の味である甘味・ソフトな苦味・スッキリした味わいを、一年をとうして作り出しております。
コロンビアの持つ柔らかな酸味・甘味・強いボディ・そしてクセのないフレーバーを醸しだす為に、産地指定・品種ティピカ・カツゥーラ・ブルボンをブレンド・焙煎しております。
スクリーンサイズ18up
標高:1100m~1800m
※通常スプレモはスクリーサイズ17up
どら焼きを作る。
どら焼きというのは楽器の銅鑼の形からついたという説が有力らしいです。
見た目その説には説得力があります。
但し江戸期のどら焼きは、皮を一枚だけ用い、端の部分を折りたたんだため四角く、片面の中央はあんこがむき出しであったという。現在のきんつばに良く似たものと考えられる、とのことです。
現在の二枚のカステラ風の生地で挟む方式は大正3年(1914年)創業の上野の和菓子屋「うさぎや」にて考案され、全国に広まったとされる、と書いてあるので、そのことから勘案すればうさぎやが作る前はどら焼きとは言わなかったのではないでしょうか。
江戸期のどら焼きは形からどら焼きとはいい難い感じがします。でも江戸期のどら焼きと断定した言い回しで書いてあるので、確実な文献を虎屋とか文明堂あたりは掴んでいるのでしょうか。多分掴んでるんだろうなぁー。
今後の研究が待たれます。
森永の徳用ホットケーキミックスが安かったので、サンヨー堂の中国産つぶ餡を一緒に購入、子供とどら焼き作りにいそしみました。
ハウスプリンの粉と共にこの粉も魔法の粉ですね。
ホットケーキといえば、神田の万惣が池波正太郎先生の食べ物の本なぞによく出てまいりますが、私は日本橋西川の後ろのたいめい軒の方に向かう道筋の喫茶店を思い出します。
店の名前は憶えていませんが、多分どら焼きを焼く機械のようなガスでやる鉄板で焼いていたのを思い出します。
何となく美味しかったような感じがあります。今もあるのでしょうか。自分のなかでは無くなったイメージがありますが。
どら焼きとは直接関係ありませんが、その喫茶店のことを思い出すと丸の内にあったホットサンドの店とか、ワッフルの店とか何とかファーマシーとか、、、あの頃(昭和終焉期)の東京にはまだGHQにオキュパイトされていたときそのままのお店も何軒かあったことが想いだされます。
でどら焼きのほうですが、作ってみるとだんだん慣れてきてフライパンもだんだん油も浸み込んで、3回目を焼く頃にはもういっぱしのうさぎやの職人になった気分で形を整えたりします。ばかですねぇー。
ミックス粉150gに卵1個牛乳100ccでどら焼き6個ぐらいの勘定です。
すぐ食べるよりもラップでくるんで少し寝かせるとしっとりした頃が食べごろです。
簡単なのでお試しあれ。
見た目その説には説得力があります。
但し江戸期のどら焼きは、皮を一枚だけ用い、端の部分を折りたたんだため四角く、片面の中央はあんこがむき出しであったという。現在のきんつばに良く似たものと考えられる、とのことです。
現在の二枚のカステラ風の生地で挟む方式は大正3年(1914年)創業の上野の和菓子屋「うさぎや」にて考案され、全国に広まったとされる、と書いてあるので、そのことから勘案すればうさぎやが作る前はどら焼きとは言わなかったのではないでしょうか。
江戸期のどら焼きは形からどら焼きとはいい難い感じがします。でも江戸期のどら焼きと断定した言い回しで書いてあるので、確実な文献を虎屋とか文明堂あたりは掴んでいるのでしょうか。多分掴んでるんだろうなぁー。
今後の研究が待たれます。
森永の徳用ホットケーキミックスが安かったので、サンヨー堂の中国産つぶ餡を一緒に購入、子供とどら焼き作りにいそしみました。
ハウスプリンの粉と共にこの粉も魔法の粉ですね。
ホットケーキといえば、神田の万惣が池波正太郎先生の食べ物の本なぞによく出てまいりますが、私は日本橋西川の後ろのたいめい軒の方に向かう道筋の喫茶店を思い出します。
店の名前は憶えていませんが、多分どら焼きを焼く機械のようなガスでやる鉄板で焼いていたのを思い出します。
何となく美味しかったような感じがあります。今もあるのでしょうか。自分のなかでは無くなったイメージがありますが。
どら焼きとは直接関係ありませんが、その喫茶店のことを思い出すと丸の内にあったホットサンドの店とか、ワッフルの店とか何とかファーマシーとか、、、あの頃(昭和終焉期)の東京にはまだGHQにオキュパイトされていたときそのままのお店も何軒かあったことが想いだされます。
でどら焼きのほうですが、作ってみるとだんだん慣れてきてフライパンもだんだん油も浸み込んで、3回目を焼く頃にはもういっぱしのうさぎやの職人になった気分で形を整えたりします。ばかですねぇー。
ミックス粉150gに卵1個牛乳100ccでどら焼き6個ぐらいの勘定です。
すぐ食べるよりもラップでくるんで少し寝かせるとしっとりした頃が食べごろです。
簡単なのでお試しあれ。
米沢出身の芸能人といえば、、、
現在はあき竹城の独壇場といった感がありますが、私たちが子供のころは伴淳三郎、通称バンジュンがぴか一でした。
とにかく芸能には縁のない土地柄で、あとは島倉千代子とデュエットしたりしてたコロムビアレコードの歌手山形英夫、松旭斎なんとかとか言ったおじいさんの手品師、新宿だか上野だかで流しをやっていたおやじ、当地米沢出身ではそんなところしか記憶にありません。
そのバンジュンの映画祭が9月6日(日)市民文化会館で行われます。
映画3本と映画監督瀬川昌司氏のトークショウもあります。
ちなみに瀬川さんの弟さんの瀬川昌久氏は著名なジャズ解説者で、富士銀行(こういう銀行でも今は名前さえも無いんですね)のニューヨーク支店時代にチャーリー・パーカーを生で観た数少ない日本人です。
そういえば米沢になんと富士銀行があったんですよねぇ。立町の荘内銀行は元々富士銀行だったんです。安田銀行の番頭をやっていた結城豊太郎のコネなのでしょうか。たぶんそうでしょうな。
チケットも豆いちで取り扱っておりますので、興味のある方はお問い合わせください。
とにかく芸能には縁のない土地柄で、あとは島倉千代子とデュエットしたりしてたコロムビアレコードの歌手山形英夫、松旭斎なんとかとか言ったおじいさんの手品師、新宿だか上野だかで流しをやっていたおやじ、当地米沢出身ではそんなところしか記憶にありません。
そのバンジュンの映画祭が9月6日(日)市民文化会館で行われます。
映画3本と映画監督瀬川昌司氏のトークショウもあります。
ちなみに瀬川さんの弟さんの瀬川昌久氏は著名なジャズ解説者で、富士銀行(こういう銀行でも今は名前さえも無いんですね)のニューヨーク支店時代にチャーリー・パーカーを生で観た数少ない日本人です。
そういえば米沢になんと富士銀行があったんですよねぇ。立町の荘内銀行は元々富士銀行だったんです。安田銀行の番頭をやっていた結城豊太郎のコネなのでしょうか。たぶんそうでしょうな。
チケットも豆いちで取り扱っておりますので、興味のある方はお問い合わせください。