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服部真湖さんと世界情勢について語る。

  • 服部真湖さんと世界情勢について語る。
おかしいと思ってたんですよ、実は。

水曜日に天元台に出前コーヒー講座に行った件ですが、モニターツアー客29名で仙台のお客様中心ということだったんです。

それで準備を終えたころに、お客様が4班に分かれて作った芋煮を食べるということになり、私もご一緒しました。
講師ということで市観光課の菅野課長から紹介をいただき芋煮を御馳走になりました。
隣になった御婦人とお話しさせていただいたのですが、東京からの参加でお母さんとご一緒でした。
旅行はほとんど海外で80カ国に行っており、コロンビアで飲んだコロンビアは最高でした、とのことです。
さすが東京!凄い人もいるもんだと思い、今まで行った中で思い出に残った場所は問うと、バブルがはじける前のドバイがすごかったとのことでした。

それからハイキングに行かれたのですが、今日うちのかみさんが入手した情報では、そのツアー客の中に服部真湖さんが参加していたというではありませんか。
どうみても私がお話しさせていただいた方以外にそれらしき方はおりません。時計屋さんの娘さんなのでしょうか。
いやぁー、びっくらこきました。

告知ですが、10月22日(木)米沢市民文化会館にて梅沢武生劇団~梅沢富美男 魅力のすべて~が開催されます。興行会社のかたが割引券をイチゴパックに入れて置いていかれましたので、ご興味のある方はお持ちください。詳細は次の通り。

昼の部=14:00
夜の部=18:00

謝恩特別割引券 ※本券は20年間の感謝を込めて特別に発行したものです。
指定席 5,500円のところ2,500円にてご案内いたします。
超割席 1,500円にてご案内いたします。

○当日本券と引き換えに指定席券をお買い求めください。
○満席になり次第消防法に従い入場を制限させていただく場合もございます。       
2009.10.17:mameichi:コメント(0):[文化芸術のココロ]

三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい。

  • 三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい。
高杉晋作の作と伝わります。

「喜瀬川、昔からよく言うだろ? 『起請に嘘を書くと、熊野の烏が三羽死ぬ』ってな」
「オホホ…。私はね、世界中の烏をみんな殺してやりたいんだ」
「えっ? 烏殺してどうするんだ?」
「朝寝がしたいんだよ」

これは三枚起請という落語です。
お女郎さんが、いろんな人に年季が明けたら一緒になるよという起請文を乱発して男心を留めて通ってもらおうとする、一寸ほろにが話です。

今は亡き古今亭志ん朝師匠のはラジオからエアチェックしたテープでよく聞きました。あとは立川談志師匠ぐらいしか印象にありません。

起請文というのは鎌倉から江戸時代、約束事の時に使われたもので、主に熊野三山の御護符の裏に書いたそうです。

昨日の朝、大沼前の熊野堂に詣でてきました。
長町の熊野神社の時に書いたことで大きく訂正があります。
まず、熊野神社の配置ですが米沢に5箇所になっており、この大沼前は中央で、南は太田町にあるということです。そういえばあります、あります。
あとこのお堂は長井時広時代の創建となっており、兼継の時代ではないということです。ただ何かで読んだか聞いたかしているので、東西南北の4社は兼継の時代に整備されたのかもしれません。

社殿をぐるりと回ってみましたが、コンパネが敷いてあり、踏み外しそうなほど荒れております。欄干も一部ありませんでした。

丁度銀杏が実っておりました。以外に臭くなかったです。


米沢善光寺如来渡御行列(二重橋前にて)

  • 米沢善光寺如来渡御行列(二重橋前にて)
この善光寺如来像は現在安置されている米沢市八海山法音寺のhpによると「川中島合戦の際、謙信公に奉じられた信濃善光寺の御本尊である。仏教伝来と共に我国に伝えられた仏像として大きな魅力が感じられ、ドラマがある。」ということになる。
では現在長野の善光寺にあるのは何?ということになるが、まあいろいろあるのでしょう。

とにかく、謙信公が亡くなってからはその遺骸の右に善光寺如来、左に毘沙門天を守り本尊にして神聖不可侵の神域を形成していたということです。
明治維新以降米沢城より御廟に遺骸が移されると、善光寺如来と毘沙門天は法音寺に移りました。その後明治32年に上杉茂憲が同寺を訪れ、修繕のためと称し如来を東京に移しました。

その間長野善光寺より上杉家に返還請求があったのですが、様々な動きがあり長野に戻ることなく米沢に帰ってきたのが昭和4年のことです。
でも本当は上杉家が長野善光寺に一旦は戻すことを約束したらしいのです。それに米沢市側が猛反発。
そして多分米沢に戻す時の条件として、米沢市側は法音寺附近3万坪の買収(予算50万円)と百万円の予算で大伽藍を建設するということではなかったかと思われます。
かなり途方もない計画です。そのくらいぶち上げなければ長野に帰っていたんでしょうか。長野に帰る縁はなかったようです。

如来は戻したものの計画は遅々として進まない。金が集まらなかったのでしょう。そこで昭和8年、如来を東京に出開帳ということになりました。
これがそのときの写真です。さすが連合通信写真部、よく撮れています。
その時なんとヤクザの抗争に巻き込まれたりした奇想天外な椿事があり、命からがら米沢に戻った顛末は又機会があれば。

現在法音寺にて宝物展が行われていますので、興味のある方は急げ!!
20日まで。
なお善光寺如来尊は秘仏のため上杉家の当主のみが拝観できるとのことです。住職も見たことがないという話です。残念!







2009.10.15:mameichi:コメント(0):[米澤絵葉書繁盛記]

天元台より兜山を望む。

  • 天元台より兜山を望む。
今日は米沢商工会議所の依頼で、店を閉めて観光ツアーのお客様を対象にコーヒー教室をやってきました。
初めてのことで不手際もありましたが、何とかやり終えることが出来ました。
これを機会に「豆いち」でも、コーヒーについてのいろいろなことをお話しする機会を今後作っていきたいと思います。
興味のある方は、是非お尋ねください。

高校の山岳部時代は、ロープウェイに乗るのは軟弱だということで、下道を歩いていました。約1時間ほどの車道で、左側です。もう少し時間があると新高湯のほうの登山道を登る場合もありました。こっちは最後の方は少し険しくなっていたと思います。
いま歩いている人はありません。

また本日日中に来ていただいた方、大変ご迷惑をおかけいたしました。明日からは通常通りの営業になります。
宜しくお願いします。
2009.10.14:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

本日16時より営業になります。

  • 本日16時より営業になります。
本日は依頼により、天元台で珈琲を淹れることになりました。
そのため16時ごろからの営業と成ります。ご迷惑をおかけしますが何卒宜しくお願いします。

写真は花沢にある熊野神社、御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと、と読むのでしょうか)例大祭は7月29日、秋祭りは9月29日です。
「おくまんさま」といわれていたと記憶します。

高校のころ友人が、冬期間にこの神社の前にある家の馬小屋の上に下宿していました。馬小屋だけに藁がふんだんにあり、そこで夕方ギターを弾いたりして遊んでいました。
カントリー南部の夕暮れさながらでした。ユー・アー・マイ・サンシャインです。
しかもその馬小屋は現在も健在で、馬の代わりに軽自動車が入っていました。