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アレンジャーというお仕事。

  • アレンジャーというお仕事。
私が持っているレコードの中で、特にヴォーカルのアルバムはキャピトル・レコードのものが多く含まれます。

キャピトル・レコードはハリウッドのレコード会社で、1956年に完成した同社の本社ビルは、円柱形の形状から“キャピトル・タワー”と呼ばれています。
13階のこの建物は、円盤を12個重ねてその上に棒が立っているような形であり、この円盤はレコード盤を、棒はレコード針を模していると言われています。
なにか地球が急に氷河期になるみたいな映画でこのタワーの模型が出ていました。

この建物を作ったといわれるほど稼いだのはフランシス・アルバート・シナトラですが、キャピトル・レコードの屋台骨を作ったのはナット・キング・コールとなり、この二人を大きく売り出すための道具立てとして有能なアレンジャーがおりました。

それがすなわち、ビリー・メイ、ネルソン・リドル、ゴードン・ジェンキンスです。
三人はスイング時代、それぞれプレーヤーとして一流のバンド、即ちグレン・ミラー(ビリー・メイ)、トミー・ドーシー(ネルソン・リドル)、イシャム・ジョーンズ(ゴードン・ジェンキンス)の各楽団でプレーしていました。
大戦後、ビッグバンドビジネスが成り立たなくなり、各楽団は解散を余儀なくされます。そして歌い手の時代がやってきた時、彼らの才能が花開きアメリカ独特の「ゴージャス」なサウンドを手に入れました。
それはハリウッドという映画の玉手箱の音楽部門を、そっくりいただいて旨みを凝縮したようなサウンドになりました。

写真は全てナット・キングコールのLP。コールも有能なピアニストだったのですが、時代の要請でしょうか、歌手になってしまうのです。ピアニスト時代の模倣者としてレイ・チャールズが挙げられます。
上がビリー・メイアレンジ、下左がゴードン・ジェンキンス、下右がネルソン・リドル、職人技が冴え渡る逸品です。そしてこの三人は同時にシナトラの仕事もやってたんですねぇ。全て素晴らしいサウンドです。
2009.11.10:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

ここはどこ?

  • ここはどこ?
何度かここに書いていますが、豊川炭鉱馬車鉄道という鉄道を調べて早3年、ここの場所がこの鉄道のターニングポイントとなった場所です。
一寸分かりづらいのですが、旧13号線と奥羽本線との交差地点です。

明治32年にここの踏切を越えられなかったために(実際は一回越えていますが、、、)全ての計画がおじゃんになってしまったのです。

鉄道と鉄道が交差する、方法はいくつかあります。
現在ではほとんどが立体交差となっています。
その昔は平面交差というものもありましたが、勿論危険も伴うため今僅かだと思います。
岩手の--軌道(ちょっと分かりません。)は一回線路が切れて東北本線の上を車輪ごと越えて、また線路に乗っかるということをしていたそうです。
佐賀県にあった祐徳軌道は長崎本線と平面交差をしていました。

その点ここの旧大橋踏切(南陽市大橋)は平面交差を許されなかったようです。
じゃあなぜ特許したのか、不思議です。

白山陶器、扱っております。

  • 白山陶器、扱っております。
白山陶器という商品をご存知でしょうか。

1779年安永8年創業の長崎県波佐見町の窯元です。
230年以上の磁器製造の技術の上に1960年からデザインという概念を製品に持ち込みました。
1960年の第1回のグッドデザイン賞受賞以来、毎年のように受賞しています。

そのシャープな雰囲気は、和洋を問わずいろいろな料理を受け入れてくれる懐を持っているように感じます。
若干ではありますが当店でも取り扱っております。
またカタログがありますので、お取り寄せなども可能です。一声おかけください。
2009.11.07:mameichi:コメント(0):[うつわいろいろいろ]

平成浪花節事情。

  • 平成浪花節事情。
加藤清史郎君の「かつおぶしだよ人生は」というのがあるのですが、時々家の息子が口ずさんでいることがあります。
曲の途中で浪花節になるのですが、問題はこの節です。
私が聞いたところ、これは浪花亭綾太郎のものではないでしょうか。
皆様ご存知でしょうか。盲目の浪花節で「妻は夫を労わりつ、夫は妻に慕いつつ」という壺坂霊験記というお話で有名です。

だいたい浪曲の真似とかは大概二代目廣澤虎造の節がスタンダードになっているのではないでしょうか。
しかも彼の節が中々いいのです。

写真はかつおではなくさんまですが。
2009.11.05:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

かもなく、ふかもなく、ではなく鴨あり、そんなに深くなく。

  • かもなく、ふかもなく、ではなく鴨あり、そんなに深くなく。
火曜日雪降りの中の一瞬の晴れ間を縫って、上杉神社に753のお宮参りに行きました。
そういえば七五三を「しめ」と読むのはどういうことでしょうか。

拝殿には結構な人たちが御祈祷をしていましたが、我が息子はまいづる幼稚園なので毎年園長にお払いをしてもらっているため、お参りのみしてきました。御祈祷しているなかに同級生が2人いました、私の。
ちゃんと背広とかを着ているものなのですね。
そういえば100ヶ日とは言わないか、、、100日目のときはちゃんと背広着ていきましたねぇー。

お堀に鴨が結構いるんですが、昔はいなかったんではないでしょうか。
心なしか水も前よりきれいになってる気もします。
2009.11.04:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]