2月14日に開催される川西町の「東北学生音楽祭」の出演が決定しました。
ここを覗いている当バンド諸君、宜しくお願いします。私の出演はまだ未定です。
紅白はともあれ、今朝のNET「心に残る・・・・ニッポンの歌5時間スペシャル」の冒頭だけ一寸チェックしたのですが、春日八郎と村田英夫のバックバンドはいったい何だったのでしょう。どう見ても殆んど外人でした。
多分ブラジル公演とかだと思うのですが、、、うちのかみさんはどうみてもこのサウンドは日本人だろうといっていましたが、つぶさに見るとどう見ても外人が多すぎます、カルロス的な。
しかも三味線の音締が、いつもよりかなり甘い感じがします。
そういえば、紅白のニュー・ブリードは今年はスタジオでもちゃんとみんなクロタキで登場しましたね。
昨年普段着で映像に映ってしまい、原さんががっちりクレームを出したっつう話です。
で、豆いちですが、1日2日はお休みしまして、3日(日)4日(月)初売りを開催いたします。
御得感のある内容で皆様に御奉仕いたします。是非お誘いあわせのうえ、ご来場くださいますようお願い申し上げます。
尚臨時駐車場は、豆いちから北へ30メートル、前山輪店様北側下山㈱の駐車場をお借りしました。何卒宜しくお願いします。
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借金取りがもし来たら。
29日が休みだったので、あらかたの振込みは済ましてしまいました。
昔、といっても戦後も付けで買うことはさほど珍しいことではなく、うちも商売をしていたので「通い帳」がずらっとぶら下げてありました。
B6ほどの大きさの帳面で表紙に「通」のじが筆で大きく書いてあるあれです、といっても分かる人にしか通じませんねぇ。
現在もある「東部食堂」というラーメン屋も付けで食べて、晦日払いだったんですねぇー。亡くなったじいちゃんは冬はいつも鍋焼きでした。
大晦日になるとやはり「芝浜」が思い浮かびます。
先代三木助というか、当代は死んじゃったのでその死んじゃった人の親父さんの三木助、が練りに練った噺です。
最近談志師匠が病欠しているNHKラジオの「新・話の泉」で山藤章二氏が
「談志師匠のファンではあるが、芝浜はいかん」といっていました。
それでyou-tubeで確認しましたが、、、なるほど、、、。
志ん朝、小三治、円楽みなさん盛んにやってますし、多分ラジオとかで聞いているはずなのですが、印象にないんです。
死んじゃった三木助のおやじさんを凌駕していないの感が否めません。
そういうのよりも年の暮れには「掛取り」というおめでたくも馬鹿馬鹿しい噺がいいんじゃないでしょうか。
頭の回る八五郎がそこにいて、アシストするかみさんも非常に機動力のあるスピーディーな噺です。
貧乏の棒も次第に長くなり 振り回されぬ年の暮れかな
貧乏をすれどこの家(や)に風情あり 質の流れに借金の山
私の持ってるのは文治になった桂伸治の古い鈴本演芸場のライブで、音は悪いが和やかな年の暮れが伝わってきます。
NHKの「昼のプレゼント」で人間国宝桂米朝師匠がこの噺をやったことがあり、相撲好きの人に力士尽くしで借金の断りをする場面があるのですが、かなりベタなんです。
その中に「あたしもねー」というところに「安達もねぇー」という日大山形出身の柏戸の弟子が出てきたことがありました。
その彼は1978年には蔵王錦というさくらんぼの新品種のような名前になっているので、幕内に上がって2年ぐらい(多分その噺に十両以下は出てこないと思うので)の間の、76年か77年の年末のことと思われます。
大阪の方は「掛取り万歳」といって最後に三河万歳の真似事が出てきて、それまた賑やかな感じがします。
やっぱり薄汚れた演芸場の隅っこで、ワンカップを隠しながらちびちび飲りたいと思う、年の暮れかな、ですな。
昔、といっても戦後も付けで買うことはさほど珍しいことではなく、うちも商売をしていたので「通い帳」がずらっとぶら下げてありました。
B6ほどの大きさの帳面で表紙に「通」のじが筆で大きく書いてあるあれです、といっても分かる人にしか通じませんねぇ。
現在もある「東部食堂」というラーメン屋も付けで食べて、晦日払いだったんですねぇー。亡くなったじいちゃんは冬はいつも鍋焼きでした。
大晦日になるとやはり「芝浜」が思い浮かびます。
先代三木助というか、当代は死んじゃったのでその死んじゃった人の親父さんの三木助、が練りに練った噺です。
最近談志師匠が病欠しているNHKラジオの「新・話の泉」で山藤章二氏が
「談志師匠のファンではあるが、芝浜はいかん」といっていました。
それでyou-tubeで確認しましたが、、、なるほど、、、。
志ん朝、小三治、円楽みなさん盛んにやってますし、多分ラジオとかで聞いているはずなのですが、印象にないんです。
死んじゃった三木助のおやじさんを凌駕していないの感が否めません。
そういうのよりも年の暮れには「掛取り」というおめでたくも馬鹿馬鹿しい噺がいいんじゃないでしょうか。
頭の回る八五郎がそこにいて、アシストするかみさんも非常に機動力のあるスピーディーな噺です。
貧乏の棒も次第に長くなり 振り回されぬ年の暮れかな
貧乏をすれどこの家(や)に風情あり 質の流れに借金の山
私の持ってるのは文治になった桂伸治の古い鈴本演芸場のライブで、音は悪いが和やかな年の暮れが伝わってきます。
NHKの「昼のプレゼント」で人間国宝桂米朝師匠がこの噺をやったことがあり、相撲好きの人に力士尽くしで借金の断りをする場面があるのですが、かなりベタなんです。
その中に「あたしもねー」というところに「安達もねぇー」という日大山形出身の柏戸の弟子が出てきたことがありました。
その彼は1978年には蔵王錦というさくらんぼの新品種のような名前になっているので、幕内に上がって2年ぐらい(多分その噺に十両以下は出てこないと思うので)の間の、76年か77年の年末のことと思われます。
大阪の方は「掛取り万歳」といって最後に三河万歳の真似事が出てきて、それまた賑やかな感じがします。
やっぱり薄汚れた演芸場の隅っこで、ワンカップを隠しながらちびちび飲りたいと思う、年の暮れかな、ですな。
久々の講演依頼。
来る来年の1月9日に火種塾という旧鉄砲屋町の我妻栄記念館で行われている催しに呼ばれ、3年ぶりに講演することになりました。
演目は「幻の馬車鉄道と高野義雄」となりました。まあネタは私の場合この馬車鉄道だけです。1時間ほどを依頼されています。
この鉄道は豊川炭鉱馬車鉄道といい、米沢駅から赤湯まで走っていました。なぜか詳細な鉄道研究の資料にも載っていないため、細かいことは分かりません。
但し間違いなく、明治32年のごく短期間、旅客営業を間違いなくやっていました。
仮営業でなく本営業です。そして開業式も盛大に行っているので、これからそういう全国版の資料にも掲載されるように運動をしていきたく思っています。
尚写真の馬車は復刻された入間馬車鉄道の1分の1レプリカです。埼玉県狭山市立博物館で許可を得て撮影させていただきました。
現在国内で稼動しているのは、札幌の北海道開拓の村と岩手の小岩井農場です。この車両も復刻したものです。
実際の車両が現存しているのは、石川県加賀市で山中馬車鉄道で使用されていたものです。2両保存されており船大工が作ったものとのことです。
残念ながら米沢の馬車鉄道の1次資料はまだ未見です。
法務局にあった登記簿の謄本が今のところ唯一のものです。
写真か株券でも出てくると面白いのですが。
演目は「幻の馬車鉄道と高野義雄」となりました。まあネタは私の場合この馬車鉄道だけです。1時間ほどを依頼されています。
この鉄道は豊川炭鉱馬車鉄道といい、米沢駅から赤湯まで走っていました。なぜか詳細な鉄道研究の資料にも載っていないため、細かいことは分かりません。
但し間違いなく、明治32年のごく短期間、旅客営業を間違いなくやっていました。
仮営業でなく本営業です。そして開業式も盛大に行っているので、これからそういう全国版の資料にも掲載されるように運動をしていきたく思っています。
尚写真の馬車は復刻された入間馬車鉄道の1分の1レプリカです。埼玉県狭山市立博物館で許可を得て撮影させていただきました。
現在国内で稼動しているのは、札幌の北海道開拓の村と岩手の小岩井農場です。この車両も復刻したものです。
実際の車両が現存しているのは、石川県加賀市で山中馬車鉄道で使用されていたものです。2両保存されており船大工が作ったものとのことです。
残念ながら米沢の馬車鉄道の1次資料はまだ未見です。
法務局にあった登記簿の謄本が今のところ唯一のものです。
写真か株券でも出てくると面白いのですが。
2009.12.29:mameichi:コメント(0):[線路は続くよ果てまでも。]
門松は冥土の旅の、、、
一里塚 めでたくもありめでたくもなし
などという狂歌が残っていますが。
朝子供をばあちゃんの家に送るとき、相生橋のたもとで門松を積んでいる軽トラックと行き会いました。
もうそういう季節なのだなぁ、などと思いながら豆いちに来てみると近くにそのトラックが止まっているではありませんか。
大将にお話をして写真を撮らせていただきました。
下世話ながら対でいかほどでしょう?と伺うと
「ホームセンター○○○では5尺で○万○千円で売っていたが、うちではその半額ほどだよ。」とのことでした。
うーん、あと何年かしたらお願いします、と言い残してその場を去りました。
などという狂歌が残っていますが。
朝子供をばあちゃんの家に送るとき、相生橋のたもとで門松を積んでいる軽トラックと行き会いました。
もうそういう季節なのだなぁ、などと思いながら豆いちに来てみると近くにそのトラックが止まっているではありませんか。
大将にお話をして写真を撮らせていただきました。
下世話ながら対でいかほどでしょう?と伺うと
「ホームセンター○○○では5尺で○万○千円で売っていたが、うちではその半額ほどだよ。」とのことでした。
うーん、あと何年かしたらお願いします、と言い残してその場を去りました。