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うーんんん。

  • うーんんん。
なかなか書けないもんですねぇー。

特にショックとは自分では思っていない筈なのですが、、、。
今日で2週間、この間のような遠い昔のような不思議な感覚がいたします。

御香典、弔電、お花など頂いた方々、本当にありがとうございました。
もうちょっと落ち着いてからご連絡させていただきます。

2010.03.09:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

再開しました。

  • 再開しました。
丁度一週間休んでしまいました。皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
3月3日、本日より通常営業に戻りました。
御贔屓何卒宜しくお願い申し上げます。

そして、豆いちの駐車場の抜け道の雪が解けたので、餃子の江戸久に抜けられるようになりました。
本来は道路ではないのですが、永井荷風の濹東綺譚と同様、「ぬけられます」。

今日は九里高校の卒業式で、店の前は前途洋洋の活き活きとした顔が通り過ぎていきます。
自分のことを考えると今を去ること28年前、おそらくマイルスで一杯飲っていたに違いありません。

2010.03.03:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

臨時休業のお知らせ

  • 臨時休業のお知らせ
元気だったおやじが、少しずつ元気がなくなり、そして24日に永眠しました。
申し訳ありませんが、24日より3月2日までお休みを頂きます。
皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、このような事情ですので何卒お察しくださいませ。

父は酒の好きな男でした。
酒が好きというよりは、宴席が好きだったのだと思います。
うちでは大抵、かかっているテレビを見るでもなく静かに飲んでいました。

夕方になるとこれから行く「寄り合い」のために、洗面所でT字型の剃刀でひげをあたっているときの楽しそうなこと。
景気のよかった子供の頃は、よく今はなき「幸寿司」のかっぱ巻きと筋子の海苔巻きのおみやを朝から食べてました。

私が店を始めてからは随分心配をしてくれていたようです。
また、新聞などに載ると嬉しそうに来る人に見せていたようです。

というわけで、ちょっとお休みさせて頂きます。
来週水曜日より皆様のご来店をお待ちしております。
2010.02.25:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

東京出張という心地よい響き。その6

  • 東京出張という心地よい響き。その6
後楽園に行くには、水道橋の駅から歩くというのと、丸の内線の後楽園駅で下車というのと2パターンある。
東京に来た頃、随分ジャズ喫茶巡りをしたのだが、水道橋にはスイングという老舗があった。

どうやって場所を調べていったのか憶えていないが、あそこは一体なんだったのだろう。
川の脇の、ちょっと船着場のそばの店みたいな佇まいだったように記憶している。
まるでニュー・オリンズにでも紛れ込んだような錯覚を覚えるいい雰囲気だった。
黒澤明映画の戦後すぐの東京、酔いどれ天使あたりともかなりかぶるシチュエーションだ。

人のよさそうなおじさんとちょっと大柄のおばさんでやっている摩訶不思議な空間。
そこで流れるのは1920年代から40年ごろまでのデキシー、スイングジャズ。
時間が止まったような場所は、私が行ってから数年で無くなった。だから私がそこへ足を運んだのは一回きり。
その後スイングは飯田橋へ移った。ちょっと坂を上ったところにある穴倉のような空間で、ここも居心地は悪くなかったが程なくして閉店してしまった。

サラリーマンになってからは飯田橋の店によくサボりに行ったんで、私が行くとテナーサックスのレスター・ヤングやベン・ウエブスターなんぞをかけていただいたことを思い出す。


スイングという同じ屋号のジャズ喫茶は渋谷にもあった。
ここはジャズの映像をプロジェクターで見せてくれる店で、たまたま渋谷区役所に営業に行く途中立ち寄った。

東急ハンズから少し坂を登り、左にタワーレコードを見ると右に階段がある。
数段登ると左側の奥のほうがスイングだった。
ここには随分お世話になった。
マスターは宮沢さんというおじいさんで、ちょっと昔話を聞いたこともある。
いつもビールの小瓶を注文していた。
最近余り見ないが、缶よりもいいね、ビールの小瓶。

2010.02.23:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

東京出張という心地よい響き。その5

  • 東京出張という心地よい響き。その5
後楽園に初めて行ったのは中学2年の修学旅行のときだ。
宿泊は大久保の笹川良一の海洋会館、でその時、後楽園には昼夜2回行った。
最初は遊園地で、夜に巨人戦のナイターだったと思う。

まだ日劇も国際劇場も健在だったが、そういうコースは時代遅れだったのでしょうか。
日光にも行ったのかなぁー。横浜は行ったなぁ。
遊覧船で安部君が白い無地の野球帽を海に飛ばした記憶は、なぜか今も鮮やかに記憶している。

で、昼の遊園地の時に球場のそばで人だかりがしていたので、隊列を離れ行ってみると、TBSの渡辺謙太郎アナウンサーだった。
そのころのTBS運動部のアナウンサーは早稲田野球部OBの渡辺、浪花節の廣澤虎造の息子、山田二郎が二枚看板だった。「謙太郎さん」「二郎さん」とおたがい「さん」づけで呼び合うのが、田舎物にとってはなんとなく都会的な感じがした。

それでなぜかサインを頂いたんだ。その時田舎の中学生は鉛筆しかなくて、しかもコクヨのメモ帳に書いてもらった。
「はぁー、鉛筆って書きやすいもんだね。」ちょっとざらっとした、少し高めの、滑舌のいい声で謙太郎氏は言った。
「ぼくらいつもボールペンしか使わないからさ、こりゃいいもんだねぇ。」
都会的で、親切でかっこいい。

ラジオでも人柄の良さは感じていたが、こんな中学生にもフランクに話しかけてくれる。
今、自分はそういう大人になれているのだろうか。
2010.02.22:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]