遠方というのはWCの符牒ではなかったでしょうか、高島屋では。
ベタですが、ということで山登り時代の友人に、横浜崎陽軒のレトルトシウマイをいただきました。
やはり信頼のブランドというのはあるもので、戴いて味は想像できるのだが、食べてみるとやはりうまい!というレベルに達するのは大変なことだと思います。
友人が帰ってくると、あいつは何してる?というのと、冥土に行った奴の話になります。
4月30日と5月の3日に高校時代から大学、社会人まで一緒にバンドをやっていたメンバーが帰ってきて、別々に飲む機会がありました。
その時、自ら命を絶った2人の友人の話になりました。
30日に話したのは、高校からの友人でマラソン大会でも上位になるような奴で、偏差値の高い国立大学に行って、一部上場の流通業に入り、その後辞めて職を転々とし亡くなってしまいました。
部屋がすごく汚くて、与野に住んでいた時の写真がどこかに残っているはずです。
東京で飲む時は、いつもパチンコで勝ったと言って奢ってくれました。勝ったというのは多分嘘だったと思いますが、遠慮なくごちになっていました。
3日に話したのは、ピアノが滅法上手いやつで、大学のころバンドで知り合いになり、一緒にバンドを組み、一緒に遊び、私がバンドを離れてから少しして亡くなってしまいました。
その後お母さんが亡くなり、お父さんとは近年までお付き合いがあったのですが、現在はどうされていることやら。
今日はシウマイをつつきながら、彼らのことを思い一杯やるかな。
それと、忘れてましたが9日は母の日なので、豆いちでうつわと珈琲豆のセットなどはいかがでしょうか。
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バス大工という仕事人
この間、米沢新聞社専務、豊川炭鉱馬車鉄道専務を勤められた高野義雄さんの曾孫にあたる高野印刷社長がお見えになりました。
馬車鉄道のことは分かりませんでしたが、祖父がバス会社をしていた時の話を伺いました。
その当時東京からバスを米沢に運ぶ時、まだ栗子トンネルの口径が小さいためバスの車体が通らなかったらしいのです。で、シャーシだけ東京から運んで、車体を米沢で作ったらしいのです。
で、家にその大工さんが出入りをしていたそうです。
どのような車体だったのでしょうか。今度写真を見せてもらおうと思います。
写真は佐氏泉公園の入口にある、花が白っぽい桜の木です。
この木だけ夜もライトアップされています。
馬車鉄道のことは分かりませんでしたが、祖父がバス会社をしていた時の話を伺いました。
その当時東京からバスを米沢に運ぶ時、まだ栗子トンネルの口径が小さいためバスの車体が通らなかったらしいのです。で、シャーシだけ東京から運んで、車体を米沢で作ったらしいのです。
で、家にその大工さんが出入りをしていたそうです。
どのような車体だったのでしょうか。今度写真を見せてもらおうと思います。
写真は佐氏泉公園の入口にある、花が白っぽい桜の木です。
この木だけ夜もライトアップされています。