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松川の色は、、、

  • 松川の色は、、、
その昔、石という石が全て黄色かったことを思い出します。
今は天元台と名を変えた場所は、かつて硫黄鉱山がありました。
私が生まれた頃廃鉱になったと聞いています。

思えば、軍事色を強め世界から孤立していく中で、鉱物の輸入が思うようにいかなかったのか、とにかく山の中を随分ほっくり返しています。
山の駅は一つ一つがそのターミナルで、関根駅は西吾妻鉱山(前述の硫黄鉱山)、峠駅は滑川鉱山、板谷駅はジークライト鉱山と、各駅に鉱山から索道が張り巡らされていました。

戦争が終わったからといってそう簡単に産業構造は変わらず、戦後も多くの鉱山が操業を続けていました。
で、松川は子供の頃は魚の住めない川になっていました。

いつの頃からでしょうか、水鳥の姿が見え出したのは。魚がいるのでしょう。
県でも随分浄化に取り組んでいるらしく、黄色かった石はいつの間にかもとの姿に戻っていきました。
今では、鴨、鷺をはじめ水辺の鳥が随分川面に姿を見せるようになりました。

私が子供の頃、そんな川でも泳いだことがあるんです。
大人が昔泳いだというはなしを聞いて、どんなもんかということでジャブンと入ったのではなかったでしょうか。

みんながみんな泳いでいる状況ではなかったと思います。むしろ物好きというか、まあ市営プールに泳ぎに来て、ちょっとあっちに行ってみようかという感じだったと思います。

一中の脇の住ノ江橋のすぐ下に、割りに大きな淵があり、結構深く色は深い緑色で、水も冷たかったように記憶しています。
その場所もいつの間にかなくなっていますが。多分1、2回水に浸かったのでしょうか。中学生だったのでしょうか。

水の味は酸っかかった、とてもとても飲めませんでした。
きれいになったとはいえ今も無理ですね、飲むのは。

2010.06.05:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

今週の土日は、

  • 今週の土日は、
申し訳ありませんが、5日(土)はあるお宅で出張にて珈琲淹れを行います。そのため店は休みになります。

それは実は盛大なお祭りで、米寿のお祝いなのです。
花展の会場に布小物&雑貨、皮小物、カフェ、洋菓子やさん、ジャムやさん、お弁当屋さんなどが、そのあるお宅のお庭に勢揃いです。
しかも「生け花体験」「ラベンダースティック体験」「レースあみ&くるみボタン」などのワークショップもあり盛り沢山の内容です。

先週の6日土曜日も伯母の葬儀で休んでしまいました。また休みになってしまい申し訳ありません。

そして日曜日ですが、諸般の事情により通常は18時閉店(但し月、水~土は19時)のところ、17時閉店となります。
誠に勝手ではございますが、何卒ご容赦ください。

2010.06.03:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

お寺に行く。

  • お寺に行く。
午前中はおばの二七日で、善光寺の和尚様の読経を聞き、午後は所用があり菩提寺の西蓮寺に伺いました。
なんだかそういう日なのです。その後「まいづる」にお迎えに行ったので、大乗寺も入っていますが。

で、西蓮寺の住職に、丸に十五枚笹についてお聞きしました。
相馬衆であるところの、実家と同じ町内の何軒かはやはり同じ家紋だということです。
そして相馬衆の相馬は福島の相馬ではなく、関東の相馬であろうということでした。
で、相馬衆は殿様なしの武士で、関東管領の流れで新潟に行き、米沢に移ったのだろうということなのです。やっぱり新潟から来たらしいのです。

なので、前回の説は間違いということがわかりました。
で、千葉氏の流れの相馬氏の家来だったのかもしれません。ただ殿様なしとされていたのでそのへんのところは今後の研究ということで。

6月の休日、時間短縮について。

  • 6月の休日、時間短縮について。
『信州信濃の新蕎麦よりも あたしゃ貴方のそばがいい』なんという都都逸がありますが、、、
やっと冷たい蕎麦が美味しい季節になってきました。うつわは有田焼の少し大きめの蕎麦猪口です。珈琲を飲んでもいい感じ、アイスやヨーグルトなどのデザートカップとしても使えます。
ガラスに写るのはお向かいのマンションです。

さて6月の休日は次の通りです。

6月1日(火)、5日(土、臨時休業)、8日(火)、15日(火)、22日(火)、29日(火)

また日曜日は10:00~18:00と通常よりも1時間短縮の営業時間となります。
但し、6月6日(日)は所用により17:00までの営業となります。
何卒宜しくお願いします。

4月からお楽しみいただいた『春珈琲』が6月より『夏珈琲』に、月の珈琲は『早苗月』より『葵月』にバトンタッチいたします。ご期待ください。
2010.05.31:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

写真映りはいいんです。

  • 写真映りはいいんです。
ちょっと風が強い日だったので、お堀にさざなみが立っています。

さざなみといえば児童文学者の巌谷小波(いわやさざなみ)と訳詩家の漣健児(さざなみけんじ)の二人の名前は思い浮かびますが、漣氏も最初の訳詩が「赤鼻のトナカイ」から始まったらしいので、なにか二人の間に関係はあるのでしょうか。

今から二十数年前、漣健児さんにお会いしたことがあります。
下北沢にあったロックンロール・ダイナーでのことです。私が所属していたバンドのメンバーの勤務先のコネで、月一回そこで演奏させてもらっていたのだと記憶しています。

その勤務先の女社長が草野さんという人を連れてきたんだったのではないでしょうか。
名刺交換をさせていただいたのですが、確かミュージック・ライフ編集長と書いてあったかもしれません。どこいったんだろうなあの名刺。
で、その時はうちらの演奏を聴いてくれて、「またこういう音楽を仕掛けていきたい云々」と話されていました。
編集長というよりは仕掛屋さんだったんでしょう。ウエスタン・カーニバルにも深く関わっていたと思います。

この方が漣健児だと知ったのは少し後のことです。

このころお会いした業界の方、例えば漣氏であったり、東京ビートルズのジョージ岡氏であったり(これも名刺もらったんだけどなー、抱きしめたいなどの訳詩はもちろん漣健児)、ザ・キング・トーンズのリードヴォーカル内田正人氏なんかは、どうしても戦後の闇市の匂いのする先生方で、ある意味インチキ臭さがすごい魅力でした。

こっちはペイペイだったので、二言三言お話させていただいたという感じでしたが。
面白かったデス、はい。
2010.05.31:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]