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米沢駅の南側に、

  • 米沢駅の南側に、
南側といっても自転車置き場があって、ゆあーずの南側にちょっとした異空間があるのをご存知の方はいらっしゃるのでしょうか。

子供の頃より怪しげな場所として認識はしていましたが、余り近づくこともなく時間が過ぎておりました。
ここには大きく分けて三つのモニュメントがあります。

一つ目は「いぼころり地蔵」という二体の石の地蔵様です。周囲には一杯の小さな石が供えられ、それでいぼをこするといぼがとれるのだそうです。

二つ目は1909年明治42年に福島県赤岩信号場で起こった脱線転覆事故の殉職記念碑です。川の石に刻んだようなシンプルな石碑です。

三つ目は鉄道の犠牲者の忠魂碑で、数年前までぼろぼろだったものが最近修復されたようです。これはコンクリート製の堂々としたもので、そのときの鉄道大臣が揮毫した銅版が埋め込まれています。

手許に資料がないので詳しくは分からないのですが、福島から米沢に奥羽線を通したものの、公共交通機関としては、実際はかなり不完全な方法であったのだと思います。
一回敷いた線路も、数回変更されているし、機関車はこの線のためのいつも特注です。山線と呼ばれ、鉄道マンの間でも難所として知られていた場所。

それにしても赤岩信号場の事故は、米沢機関区の人が乗務員で確か3名が殉職されたときいています。
その日が明日6月12日、またこのときの写真が現在ヤフオクに出展されているというのも、ちょっとした因果を感じます。101年前の出来事です。

写真はいぼころり地蔵の奥が、赤岩殉職記念碑、右側の家の前にあるのが鉄道忠魂碑です。
2010.06.11:mameichi:コメント(2):[そこいら辺を歩く]

これが全容です。

  • これが全容です。
緑色の織部焼は元々茶の湯の世界では冬に使われるものだそうですが、夏に合わせてもさっぱりとした風情がいい感じです。

その右側、鉄赤絵は昔付近を走っていた、名鉄美濃町線の電車の色を彷彿とさせます。知ってる方以外には何を言ってるのか全く分からないことですが。

その下の安南はベトナムの焼き物の写しと考えるのでしょうか。アンナンブルーというベトナムレストランが名古屋にいっぱいあるようです。

その下は上記2つが合体した、安南赤絵です。より豪華に感じられます。

その上というか左は色絵小紋といって、赤のラインと様々な色でかわいらしい図柄となっております。

織部9個、鉄赤絵15個、安南8個、安南赤絵7個、色絵小紋9個と豊富に在庫がございますが、当分大量入荷はないと思います。
見ていただければお分かりの通り、一つ一つ趣が異なりますので、自分の手に合った逸品を是非お選びください。

2010.06.09:mameichi:コメント(0):[うつわいろいろいろ]

南窯より只今到着。

  • 南窯より只今到着。
職人の手による、この包装が素敵でございます。

南窯は美濃焼の一大産地、岐阜県土岐市の東部、やまあいの町 駄知町で主に、織部、志野、粉引、赤絵、安南風呉須絵等の手づくりの器を制作する工房です。

洋画家を目指していた工藤陸雄が絵を描くかたわら?はじめたのが、南窯の前身、小松陶苑です。その後南窯設立当初行っていた、鋳込み、動力という大量生産の形をすべて排除して一つ一つ手づくりでおこなう現在のスタイルになりました。

南窯は、陶芸家の工房というよりわかり易くいえば、てづくり陶器のメーカーだと思います。(南窯HPより)

豆いちにいらしたら、お急ぎでなければ試飲をお出ししています。
その際開店当初から使っているのがこの南窯のフリーカップです。
このカップは開店の時美濃焼の陶商人「幸」の松原さんが開店祝いに置いていってくれたものです。

当初からすごく評判がよく、遠くから来た、たまたま立ち寄っていただいたお客様にも随分お買い上げいただいております。
たとえば、札幌、仙台、東京、埼玉、鎌倉、等等
もちろん地元のお客様にも大好評。それで今回はかなり多めに送って頂きました。

一個一個個性のある手になじむカップです。是非手にとって自分の手になじむカップをお探しください。
このカップで焼酎を飲むのも悪くありません。父の日のプレゼントに如何でしょうか。文様は5種類、詳細は明日のこの欄で!

2010.06.08:mameichi:コメント(0):[うつわいろいろいろ]

「彼が近藤君です。」

  • 「彼が近藤君です。」
といわれて、私は小柄な少年のようなサックス奏者に挨拶しました。

大久保のダクという管楽器専門店でだったと記憶しています。
丸君というプログレのサックス奏者のバンドを手伝いに行っていたときで、私と同じサシで入っていた東洋大グルービーOBのトロンボーンの庭山さんから「近藤君」を紹介されたんだと思います。

一寸話して、おんなじ大学4年ということ、最早ニューハードで演奏していることを教えてくれました。
本人がバンド名(ニュー・ハード)を分かっていなかったということが面白く、あんまりそういうことには興味ないんだろうなぁと、思わせました。

それからは各所で大活躍、昨日久しぶりに生のプレイに感激しました。
ちゃんと道を究める職人の顔になってました。
あれからもう25年、四半世紀になるのだなぁと、感慨ひとしおでございます。
こっちですか?こっちはまあねぇ、、、

tpは佐久間さんが一番旬な感じで、よく鳴っていました。
2010.06.07:mameichi:コメント(0):[芸能音楽の50]

園遊会に出張してきました。

  • 園遊会に出張してきました。
6月4日21時30分 昨夜の県民ショウの京一郎&はるみの録画した部分をチェックしつつ就寝。

6月5日1時丁度 起きてしまいまったりとする。

6月5日3時20分 余り眠くないが、今日のことを考えるとということで二回目の就寝。

6月5日5時ごろ 最初の目覚まし。何となく雨音が聞こえるが、眠たさに負けて目覚ましを掛けなおし再度就寝。

6時 結構な雨音。本日の準備に店に向う。雨は強くなってくる。外仕事なのでこのままでは難しい。
とにかく、店に行き少なめに豆を挽く。

7時30分 雨が小降りになる。家に帰ってパンの朝食。髭をあたってげげげの女房を見る。

8時30分 息子を幼稚園に送り、現場に直行。ほぼ雨は上がっていたが、外では無理ということで縁側のスペースをお借りして店を作る。

10時開店 そこから珈琲を淹れる。余り暑くないためかほとんどがホットで兎に角珈琲を淹れる。れる。れる。
雨は殆んど降らない。

16時閉店 片付けをして16時30分ごろ店にに向う。その途中なぜか雨足がいきなり強くなる。
店に付いた頃にはざんざんぶり。濡れながら店に荷物を入れる。

17時ごろ自宅到着。シャワーを浴びて準備を整える。

17時40分ナウエルニューグランドホクヨウ到着。

18時30分ごろ3階プロバンスの間にて演奏開始。取りあえず無事終了。
その後楽屋でくっちゃべって、三々五々解散。

23時ごろ自宅に再度到着。長い一日もなんとか終焉を迎える。


2010.06.05:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]