昨日は花火大会、明日は愛宕の火祭りと忙しくお祭りが駆け抜けてゆきます。
浴衣とくれば手拭いは付き物なので6月末に仕入れましたが、めでたく本日売り切れとなりました。ありがとうございました。
手拭いのほかに小風呂敷(少し厚手の綿生地で、一辺が51センチの正方形)が写真の蜻蛉、鯵の干物、他に赤の亀甲に鶴の3種類各1枚、あとは涼しげな朝顔のハンカチ白、青各1枚となりました。
明日1日より全て売価630円のところ@420円で販売いたします。
早い者勝ちですので、お早めに!!
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このくらいの暑さになりますれば、
玉川勝太郎の名作天保水滸伝、笹川の花会の冒頭を思い出します。
♪利根の川風たもとに入れて、月に掉さす高瀬舟
ひとめ関の戸叩くは川の 水にせかるる杭などに
恋の八月大利根月夜、佐原囃子の音も冴えわたり
葦の葉末に露おく頃は 飛ぶや蛍のそこかしこ
潮来菖蒲の懐かしさ 私しゃ九十九里荒浜育ち と云うて鰯の子ではない
若干意味不明のところもありますが、風呂で唸ってるといい心もちがします。
♪義理にゃ強いが情けにゃ弱い されば天保十二年 抜けば玉散る長脇差
赤い血沫しとどに浴びて 飯岡・笹川両身内
名代なりける大喧嘩 伝え伝えし水滸伝
この勝太郎は、お昼のワイドショウで苦労人の半生を浪花節にするという企画で有名になった3代目の師匠、2代目の勝太郎です。
3代目の弟子で庄内の平田町出身の福太郎という方がおり、亡くなった井上ひさし先生などが随分肩入れしていました.
この方も残念ながら先年、田植えの手伝いで故郷に来て、田植え機の下敷きになりお亡くなりになったということです。
健在ならばこの方が4代目になる方だったのでしょうか。
落語のほうは、文楽、円楽、小勝、小さんなどの名跡が復活していますが、浪花節のほうは雲右衛門、米若、鶯童、雲月、虎造なんてのはありませんね。
♪利根の川風たもとに入れて、月に掉さす高瀬舟
ひとめ関の戸叩くは川の 水にせかるる杭などに
恋の八月大利根月夜、佐原囃子の音も冴えわたり
葦の葉末に露おく頃は 飛ぶや蛍のそこかしこ
潮来菖蒲の懐かしさ 私しゃ九十九里荒浜育ち と云うて鰯の子ではない
若干意味不明のところもありますが、風呂で唸ってるといい心もちがします。
♪義理にゃ強いが情けにゃ弱い されば天保十二年 抜けば玉散る長脇差
赤い血沫しとどに浴びて 飯岡・笹川両身内
名代なりける大喧嘩 伝え伝えし水滸伝
この勝太郎は、お昼のワイドショウで苦労人の半生を浪花節にするという企画で有名になった3代目の師匠、2代目の勝太郎です。
3代目の弟子で庄内の平田町出身の福太郎という方がおり、亡くなった井上ひさし先生などが随分肩入れしていました.
この方も残念ながら先年、田植えの手伝いで故郷に来て、田植え機の下敷きになりお亡くなりになったということです。
健在ならばこの方が4代目になる方だったのでしょうか。
落語のほうは、文楽、円楽、小勝、小さんなどの名跡が復活していますが、浪花節のほうは雲右衛門、米若、鶯童、雲月、虎造なんてのはありませんね。
健康相談ととんかつ。
昨年の12月だったか、健康診断を受けました。まあ特に取り立ててどうのこうのということはなかったんですが、2月に呼び出しを食い、少し目方を減らしましょうということになりました。
それで、意識的に少しご飯を減らすというのをやっていたのですが、一向に目減りする様子がありません。
そのうち親父が亡くなったりして、少し痩せたり宴会料理で太ったりしだしました。最近また太りだしたなあと思っていたのですが、、、
忘れた頃に、どうなっていますかという電話をいただき、昨日旧興譲館跡地の検診センターに行ってきました。
いつの間にか担当の方も変わっておりましたが、ちゃんと申し送りされていたらしく、前回お邪魔した時に話したつまらないギャグもメモられていたのには苦笑せざるをえませんでした。
で、また測定してもらったら実際は2月のデータと全く同じでした。
それで、いきなり安心してごはんの当番なので、とんかつを揚げることにしました。
この辺が非常に打算的です。
いやぁー、本当に久しぶりです。
スーパーキムラにて天童アイデンティ社のむげん豚(とん)、ロースを購入、キムラには平牧三元豚もありますが、コストパーフォーマンスでこちらにしました。
写真のやつは自分の分で、大井町丸八の方法で衣を二度付けしているので、肉の大きさの割りにでかくなっています。少し揚げ過ぎの感が。
お味はというと、平牧三元豚(最近はもち豚というシールが付いている)とそれほど変わらないのでは、と思うほど脂に甘味があり美味しくいただきました。
ご飯は若干少なめにしました、初日ですんで。
地元には白鷹田中種蓄牧場の米沢三元豚、米沢村上畜産の天元豚などがあるので、今後比較していきたいと思います。
それで、意識的に少しご飯を減らすというのをやっていたのですが、一向に目減りする様子がありません。
そのうち親父が亡くなったりして、少し痩せたり宴会料理で太ったりしだしました。最近また太りだしたなあと思っていたのですが、、、
忘れた頃に、どうなっていますかという電話をいただき、昨日旧興譲館跡地の検診センターに行ってきました。
いつの間にか担当の方も変わっておりましたが、ちゃんと申し送りされていたらしく、前回お邪魔した時に話したつまらないギャグもメモられていたのには苦笑せざるをえませんでした。
で、また測定してもらったら実際は2月のデータと全く同じでした。
それで、いきなり安心してごはんの当番なので、とんかつを揚げることにしました。
この辺が非常に打算的です。
いやぁー、本当に久しぶりです。
スーパーキムラにて天童アイデンティ社のむげん豚(とん)、ロースを購入、キムラには平牧三元豚もありますが、コストパーフォーマンスでこちらにしました。
写真のやつは自分の分で、大井町丸八の方法で衣を二度付けしているので、肉の大きさの割りにでかくなっています。少し揚げ過ぎの感が。
お味はというと、平牧三元豚(最近はもち豚というシールが付いている)とそれほど変わらないのでは、と思うほど脂に甘味があり美味しくいただきました。
ご飯は若干少なめにしました、初日ですんで。
地元には白鷹田中種蓄牧場の米沢三元豚、米沢村上畜産の天元豚などがあるので、今後比較していきたいと思います。
噺家になりたいといったあの日。
結局、ならない訳のものでありますが。
中学の3年の頃だったか、ナイターをみていた親父がお前は何になりたいのだと訊いたことから、話は始まります。
小学校のころから図書室に通いつめていた私は、落語の本を好んで読んでいました。
割と人と交わるのが苦手だった、というのもあるのでしょうか。このパーソナルな一人語りという手法がかなり自分にあっているような錯覚を憶えたのでした。
漫才も大好きでしたが、相方が必要ではあーりませんか。
今でもお客様とちょっと長話になると、この方の息ならば出来るのでは、などと考えている自分もいるのです。テンポとか声質とかね。
でまあそれはいいとして、だからといって噺を繰ったりすることもなく、只々テレビやラジオの演芸番組にストンと入っていきました。
小学生高学年からは、テレビでやっているものは殆んど見ていたし、ラジオを買ってもらってからは関東関西、随分いろいろなものを聴いていました。
今もあるのでしょうか、TBSの大澤アナが司会をしていた「爛漫ラジオ寄席」。あと今もあるNHK真打競演。
そのほかTBS川戸貞吉氏の「早起き名人会」、NHKの「演芸広場」(月~金の帯でやっていた番組)、ニッポン放送の朝5時からやっていたやつとか、文化放送もありました、大阪の放送局、朝から浪花節も随分聞きました。
そのころは、兎に角それを中心に生きていて、さんざん聴いていました。
で、何になりたいんだなんて親は聞きますよね。噺家になりたい。烈火のごとく怒りました、二人で。
何でこいつはこういう親不孝の子供になってしまったのだろう、多分軽い気持ちで聞いた親に軽い気持ちで話したのでしょう。
で、この様です。特に落ち込むこともなく、こういう反応というのも折込済でした。
実際本当になりたかったのかは、自分でもちょっとわかりませんが、その時は少なくともそう思った、正直に話した。
なりたいものなんてなかったのだが、言えと言ったから話したまでじゃないか、と前後が全く見えてない自分でしたが、それと同じことが数年後に再発します。
中学の3年の頃だったか、ナイターをみていた親父がお前は何になりたいのだと訊いたことから、話は始まります。
小学校のころから図書室に通いつめていた私は、落語の本を好んで読んでいました。
割と人と交わるのが苦手だった、というのもあるのでしょうか。このパーソナルな一人語りという手法がかなり自分にあっているような錯覚を憶えたのでした。
漫才も大好きでしたが、相方が必要ではあーりませんか。
今でもお客様とちょっと長話になると、この方の息ならば出来るのでは、などと考えている自分もいるのです。テンポとか声質とかね。
でまあそれはいいとして、だからといって噺を繰ったりすることもなく、只々テレビやラジオの演芸番組にストンと入っていきました。
小学生高学年からは、テレビでやっているものは殆んど見ていたし、ラジオを買ってもらってからは関東関西、随分いろいろなものを聴いていました。
今もあるのでしょうか、TBSの大澤アナが司会をしていた「爛漫ラジオ寄席」。あと今もあるNHK真打競演。
そのほかTBS川戸貞吉氏の「早起き名人会」、NHKの「演芸広場」(月~金の帯でやっていた番組)、ニッポン放送の朝5時からやっていたやつとか、文化放送もありました、大阪の放送局、朝から浪花節も随分聞きました。
そのころは、兎に角それを中心に生きていて、さんざん聴いていました。
で、何になりたいんだなんて親は聞きますよね。噺家になりたい。烈火のごとく怒りました、二人で。
何でこいつはこういう親不孝の子供になってしまったのだろう、多分軽い気持ちで聞いた親に軽い気持ちで話したのでしょう。
で、この様です。特に落ち込むこともなく、こういう反応というのも折込済でした。
実際本当になりたかったのかは、自分でもちょっとわかりませんが、その時は少なくともそう思った、正直に話した。
なりたいものなんてなかったのだが、言えと言ったから話したまでじゃないか、と前後が全く見えてない自分でしたが、それと同じことが数年後に再発します。
キャンデーズ再見。
当バンド「スターダスターズ」の結成時にラッパを吹いていたO原さんは元プロでした。
彼がいた「スマイリー小原とスカイライナーズ」名義でyoutubeで検索したら、いましたいました、本人が。
それもなんとあの「キャンディーズ」のバックで2曲吹いていました。
そのころのスマイリーさんのバンドは入れ替えが烈しかったらしく、トランペットの1stと2ndは曲によってほとんど違う方が座っています。でO原さんは2ndにこじんまりといました。
勿論バックなので大きく写ることはないのですが、ラッパを持つ構え方などで何となく判ります。
O原さんによるとスカイライナーズは渡辺プロダクション専属で、当時のバンドには珍しく厚生年金だったので、現在の年金ナントカ便にもそこから遡って記載されているようです。
当時バンドでそういうのがしっかりしているところはなかったらしいのです。
現在は京都で介護の仕事をしているはずですが、お元気でしょうか。
で、キャンデイーズなのですが、今見ても素晴らしいのです。
今の季節に聴きたい「夏が来た!」という曲はスマイリー小原ヴァージョンの他、夜ヒットダン池田ヴァージョン、スペクトラムの前身の専属バンドMMPヴァージョン、レッツゴーヤングの多分長洲忠彦先生指揮のヴァージョン(ドラムが2バスなのですがどこのバンドかははっきりしません。)などがあり、各者各様に楽しめます。
NHKのものなどはかなり生き人形的な感じで、本当にりかちゃん人形が動いているような気さえいたします。
東京で言うところの放送局のチャンネルの番号が1から上がっていくとだんだん人間らしさを取り戻してくる映像になったりします。サイボーグと人間の間を行き来してるような感じさえ漂います。
そのころ新宿のモンテカルロサーカスのオーケストラで働いていたT宮先輩(トランペット)が喫茶店で、キャンディーズの二人を目撃した時は、ウエストなんかは「今にもおしょれそう」だったそうで、最早普通の女の子に戻るのも已む無しという状況だったのでしょう。
そのころ私は特にキャンディーズファンというわけでもなく(強いて言えば鶴光ファンだった)聖子ちゃんが出てくるまではアイドルとは一線を画していました。
ただし大量の歌番組に支えられていたテレビジョンは見ていたらしく、15万枚セールスの「夏が来た!」でもだいたいは憶えています。
現在では100万枚突破しても、曲のイントロさえ知らない、なんてのはざらですが。
そんなわけでキャンデイーズをいろいろ見るようになったのですが、改めてちょっと今のアイドルにはないすごさを感じます。すごい故に続かないのでしょうね。
中学3年の時に一中の生徒会室の月間予定の黒板に書かれていた、「キャンディーズショウ」(多分米沢市営体育館で開催されたのだと思う)の文字が思い出され、行っときゃよかったなぁー、見てれば別の人生が、、、等と思う昨今です。
また50歳になったキャンデーズで全国回っても、今の方々よりは確実に興行が打てるという気もしますが、
バンドはMMPでね、スマイリーさんとダン池さんは亡くなっちゃったんで。
彼がいた「スマイリー小原とスカイライナーズ」名義でyoutubeで検索したら、いましたいました、本人が。
それもなんとあの「キャンディーズ」のバックで2曲吹いていました。
そのころのスマイリーさんのバンドは入れ替えが烈しかったらしく、トランペットの1stと2ndは曲によってほとんど違う方が座っています。でO原さんは2ndにこじんまりといました。
勿論バックなので大きく写ることはないのですが、ラッパを持つ構え方などで何となく判ります。
O原さんによるとスカイライナーズは渡辺プロダクション専属で、当時のバンドには珍しく厚生年金だったので、現在の年金ナントカ便にもそこから遡って記載されているようです。
当時バンドでそういうのがしっかりしているところはなかったらしいのです。
現在は京都で介護の仕事をしているはずですが、お元気でしょうか。
で、キャンデイーズなのですが、今見ても素晴らしいのです。
今の季節に聴きたい「夏が来た!」という曲はスマイリー小原ヴァージョンの他、夜ヒットダン池田ヴァージョン、スペクトラムの前身の専属バンドMMPヴァージョン、レッツゴーヤングの多分長洲忠彦先生指揮のヴァージョン(ドラムが2バスなのですがどこのバンドかははっきりしません。)などがあり、各者各様に楽しめます。
NHKのものなどはかなり生き人形的な感じで、本当にりかちゃん人形が動いているような気さえいたします。
東京で言うところの放送局のチャンネルの番号が1から上がっていくとだんだん人間らしさを取り戻してくる映像になったりします。サイボーグと人間の間を行き来してるような感じさえ漂います。
そのころ新宿のモンテカルロサーカスのオーケストラで働いていたT宮先輩(トランペット)が喫茶店で、キャンディーズの二人を目撃した時は、ウエストなんかは「今にもおしょれそう」だったそうで、最早普通の女の子に戻るのも已む無しという状況だったのでしょう。
そのころ私は特にキャンディーズファンというわけでもなく(強いて言えば鶴光ファンだった)聖子ちゃんが出てくるまではアイドルとは一線を画していました。
ただし大量の歌番組に支えられていたテレビジョンは見ていたらしく、15万枚セールスの「夏が来た!」でもだいたいは憶えています。
現在では100万枚突破しても、曲のイントロさえ知らない、なんてのはざらですが。
そんなわけでキャンデイーズをいろいろ見るようになったのですが、改めてちょっと今のアイドルにはないすごさを感じます。すごい故に続かないのでしょうね。
中学3年の時に一中の生徒会室の月間予定の黒板に書かれていた、「キャンディーズショウ」(多分米沢市営体育館で開催されたのだと思う)の文字が思い出され、行っときゃよかったなぁー、見てれば別の人生が、、、等と思う昨今です。
また50歳になったキャンデーズで全国回っても、今の方々よりは確実に興行が打てるという気もしますが、
バンドはMMPでね、スマイリーさんとダン池さんは亡くなっちゃったんで。