豊川炭鉱馬車鉄道という幻 ~米沢に鉄道馬車が走っていた~    第五回

◎馬場新八の炭鉱分析と人となり

明治30年12月7日の米澤新聞に豊川炭鉱の炭質、という記事が掲載された。

西置賜郡豊川村なる大字手の子炭鉱を発掘せんとて豊川炭鉱会社の創立せられんとしつつあることは本紙上のしばしば報道せしところなるが、爾後着々歩武を進め近日中には創立申請を為すの運びに至れりという。しかしてまた同炭鉱の炭質は先年横須賀造船所に於いて全国の炭質を分析したる際にも山形県下各所より採取せし内に、最優等と称せられし由なるが、この度元造船所長たりし馬場新八氏が同会社創立発起人の許に贈られたる同鉱山の現況並びに分析表を得たれば左に掲ぐ。

 

豊川炭鉱現況

拙者本年帰省の序を以て東置賜郡(西置賜郡の間違いか・筆者述)豊川炭鉱を巡視す。その大略左の如し。

本鉱の方向は東南より西北に赴く傾斜および層皇のごときは粗雑にして一定ならずといえども、経度は5,6度より12,3度にして、鉱厚は2尺4,5寸の所多し。本鉱炭は県道の左右に露出せるを以て、運搬に便なり。炭質は別表の如くにして本邦中九州若しくは北海道炭に比べれば劣等なるも、工業式や風呂用などには極めて適当なり。故に局に当る者採炭運搬との方法その宜しきを以て起業し、これを薪炭代用となせば供給重要の両者収むる所の利益得る所の幸福蓋し少々にあらざるべし。右現況を記し以て同郷人に告ぐ。

明治30年8月   馬場新八 印

手の子炭鉱分析表

水   15.56

骸炭  36.20

灰    7.27

炭素  51.85

酸素  20.49

硫黄   0.49

重比  61.39

揮発物 40.88

骸炭質 不粘結

灰色  淡色 

水素   3.78

窒素   3.78

有効水素 1.22

 この数値自身がどれほどの価値を持つものか、他の炭鉱に比べてどのような数値なのかは分らないが、信頼すべきものと、当時の人は思ったのだろうか。

 記事中に出てくる馬場新八は米沢出身の海軍将校で、明治10年5月21日に気球実験を行った際日本で初めてそれに搭乗して100メートルまで上昇した男である。20年経ったこの頃でも地元ではそれなりに有名で、権威を付けるための利用価値があったのではないだろうか。

2018.07.03:mameichi:[線路は続くよ果てまでも。]

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