そもそも鉄道馬車とはどういった乗り物なのか?何人かのお客様に尋ねられたので、説明したいと思う。簡単にいえば馬が引く馬車がレールの上を走る乗り物だ。ではなぜわざわざ馬車がレールの上を走るのか、という疑問が湧いてくる。
それは当時の道路事情に問題がある。つまり馬車がするすると走れる状態のよい道路は、そうなかった。そのため道路上に線路を敷いて安定した運行を図るために鉄道を道路上に敷設したのだ。道路の下には枕木が埋まっており、それは現在の路面電車も同じ構造で走っている。
鉄道馬車の起源は諸説ある。当初はイギリスの炭鉱で運炭用として用いられたが、本格的な営業用の鉄道としてはアメリカのジェームス・ステファソンにより1832年に開業したニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道が最初とされる。その後各国に広がり1870年にロンドン、1873年にパリに登場した。このようにして市内を結ぶ公共交通機関として馬車鉄道は急激に普及した。たとえばアメリカでは1870年代にはほとんどの都市に馬車鉄道があり、事業者数約700、軌道延長約1万3千キロ、車両数約3万2千両に達した。
わが国ではパリに遅れること9年、明治15年東京に東京馬車鉄道が開業した。浅草新橋間でその後品川馬車鉄道を買収、品川まで延長して営
業、しっかり黒字経営であり配当もしていた。その後京都に市内電車が開通(京都電気鉄道・明治28年、七条停車場ー下油掛間)という動きがあり、馬の糞尿問題などを考慮、明治36年に東京馬車鉄道を東京電車鉄道に改称、8月より東京でも電車運転が開始された。そして東京の馬車鉄道は終了した。
但し地方中小都市ではこれから馬車鉄道を導入するところも多く、大正元年全国に48社が犇めきあっていたころがピークとなる。
本題の豊川炭鉱馬車鉄道が計画されたのは市立図書館に残る米澤新聞の記事から明治30年ということが分かる。奥羽南線が福島から米沢に到達するのが明治32年だから、その路線が来ることを前提としてそれに間に合わせるように準備に入ったのだろう。
では、どのような意図でこの鉄道が計画されたのかは、次号をお楽しみに。
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