人の出会いというのは面白いものでいつもそれは突然だ。
就職が決まっていない息子に、親父は地元のあるコネを使って一つの会社に行けと言った。その時に出会ったのがその会社の専務だった。その人は高校の先輩で、卒業後これまた高校の先輩の会社の社長に婿養子として入ったらしい。
彼は「なんで、こがな時期まで就職活動してねがったんだ!」と米沢弁で怒鳴った。流石にバンドマンになるつもりなので、、、などと言える空気じゃないことは馬鹿な俺にも伝わって来た。
専務は片手が不自由で、手は付いて入るのだが、普通よりも若干小さくてまったく神経が通っていなくて、ただぶらぶらと背広の袖からぶら下がっているだけだった。
私はその会社に三年だけで辞めてしまったので詳しいことは分からないのだが、社長が繰り広げていた財テクの損失で首脳陣は失脚、専務はそれから自分が障害者ということもあったと思うが、介護ビジネスを始めたらしい。
数奇な運命が彼をコムスンという巨大な会社のCEOにしてしまったのは、私にはどうしてだかは分からない。でも上場会社のトップという職責を何年間かに渡って果たせるだけの器だったのだろう。
何で専務がこの会社のトップになったのかちょっと不思議だったのだが、ちょっと調べたらオーナーの折口氏(ジュリアナ東京であてた人)と前の会社の社長が同じ商社の出であることがわかった。世の中って狭いし、先輩後輩って意外に重要なのですね。
その後所謂介護保険金不正受給などでCEO解任、テレビで謝っている映像なども随分流れて、大変な思いをされたことは想像に難くない。で、会社はなくなってしまった。
その後の専務の行き先はまったく分からなかったし、特に気にも留めなかった。
一昨日のことだった。店の前の通りを挟んだ反対側に一台の白い宮城ナンバーの車が止まっていた。少ししたら一人の男性がその車のほうに歩いて行った。あっ、見たことのある顔だったがとっさには分からなかった。はっとしたのはぶらんと下がった左手だった。
「あっ、専務だ。」
すぐに車に乗り込んで発車してしまったので、声をかけることは出来なかった。というか、声をかけられなかったし、多分専務を私を憶えていることはないと思ったから。
だが、歩いている専務の顔は30年前に初めて出会った時と同じ、生き生きとした溌剌とした姿だったし、声をかけたらまた怒られるぐらいの生気がみなぎっていた。
この「専務」がいた会社から私の社会人人生が始まった。田舎に帰って就職してからも、大阪の御堂筋線の駅で本部長に声をかけられ、「石塚、また戻ってこい」と言われたこと、御徒町のホームで偶然隣の部の部長に声をかけられ、その部長は呑まなかったのだが「おい、石塚呑みに行くぞ!」と言って御馳走になったこと。
私は偶然目の前を通り過ぎた専務が乗った車が走り去るのをずっと見つめていた。
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