桂米朝という噺家を初めて意識したのはいつの頃だったろうか。
ガキの時分、四天王と云われた、松鶴、春団治、小文枝(先代文枝)の中では山形でも割合テレビに出ていたのが、米朝さんだった。
関西テレビで『はい、土曜日です』という朝からやってる、まあ今のミヤネ屋みたいな番組の司会をしていた米朝師匠。
藤本義一さんの奥様統記子さん、薬師寺の高田好胤さんなど、関東では考えられない、しかも米朝師だからこその座組みだったと小学生ながらそんなことを考えて見てました。
と、云うか当時は半ドンだったので長い休みの時に見ていたんでしょうね。
はっきり覚えるフレーズが一つだけあります。
多分NHKのお昼のニュース後の『お昼のプレゼント』というちょっと『いいとも』的な番組で米朝師が『掛け取り』という落語をやってました。
暮れの噺なので冬休みに確か母の実家で見ていたのだと思います。
掛け取りは、暮れの借金取りをその人の趣味に合わせて面白く取り繕って追い返す噺です。
大家さんは狂歌、魚屋は喧嘩、誰々は芝居などと上手く合わせて追い返すのですが、米朝師のには相撲好きというのがあり、会話の中にその当時の力士の四股名を織り込んだ借金の断りをはじめました。
その中に『安達もね(あたしもね)』というのが出て来ました。安達というのは山形市出身の力士で、その後蔵王錦と四股名を変え現在武隈親方として、時津風部屋で後進の指導に当たっています。
多分その当時安達は十両で、しかもそれほどいい地位には居なかったと思います。その話に出て来たであろう、輪島、北の湖、貴ノ花、魁傑などからみれば、かなりマイナーな安達を出して来たところに、彼のセンスを感じたものです。
皆が忘れていた上方落語を再興し、弟子も一杯ありますが枝雀、吉朝が早世、それでも月亭可朝、ざこば、息子の米団治、孫弟子の南光となかなか個性派が揃ってますね、師匠。
ご冥福をお祈りします。合掌
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