八海山法音寺は上杉家の菩提寺として御廟の左側に位置する古刹です。数奇な運命から長野にあるはずの善光寺如来をおまつりしてあるお寺というのはあまり知られていないかもしれません。
じゃあ長野の善光寺には如来様はいないのか?という疑問が湧きますが、その答えは「いない。」ということになります。でも通常史実としては下記のように伝えられております。
善光寺の本尊像は、戦国時代に武田信玄によって甲斐善光寺に移され、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康と権力者の手に移り何度か移動したが、豊臣秀吉により慶長3年(1598年)に元の信州善光寺に戻されている。
だが説はいろいろあるのですが、実際は上杉謙信の手に渡り、越後、会津、米沢と移ってきたのです。米沢に来てからは城内の御堂(現在の招魂碑のあるところ)に安置されていました。
明治に入ってから御堂が壊され、現在の法音寺に移されたのです。なぜ実際米沢のものが本物であるのかということがわかるのかといえば、何回も長野から返してくれというコールがあったというのが実際のところです。以前読んだ長野善光寺の本に、長野市民は如来様はいないことを知ってると書いてありました。
だから、如来様は米沢にいらっしゃるのだと思います。その間東京に行ったり、盗まれたり波乱万丈の人生ですが。
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