先輩から吾妻筍を貰った。この筍は山によって名称が異なり、一番有名なのは月山で採れる月山筍だろう。
月山ではその季節になると、小屋を作り泊りがけで筍を採り、それを宿坊に下ろすというのが最近まで続いていたらしい。
私が高校一年か二年のころ山岳部の国体予選で月山に入った時は、休憩している最中にどこからかひょっこりと筍を背中いっぱいに背負った爺さまが現れ、何を云うでもなくずっと道をひょいひょい下っていった。
自分たちがやっとの想いで登ってきた道を、杖一本で飛ぶように降りて行く老人を、なにかスーパーマンにでも出会ったような気持ちで見送ったものだ。
その時の筍は見たこともないほど太くて、当時よく形容していたのが、ジュースの250ml缶を少し細くしたようなブツだった。
筍についてはもう一つ思い出がある。30前半までは山登りを続けていたのだが、この季節に滑川温泉から薬師森を抜けて潜り滝コースで名月荘にて一泊した。
丁度滑川鉱山跡から薬師森の登り口にかけては吾妻筍が道の傍に生えており、一緒にいった先輩と筍を採りながら名月荘を急いだ。名月荘は二階建ての無人小屋で、庄内の方から来たというベテランの単独行の方のみであった。
私達はその人もいた二階に陣取り、採って来た筍をアルミホイルに包んで焼き、味噌をつけて酒の肴にした。その時単独行の方にもおすそ分けをしたのだが、その方は相済まなそうに御礼を言い食べ終わったからだったか、次の朝だったか飴玉を二つ差し出した。
夕食の後、一階にやって来たグループが結構な宴会を始めた。私達はもうシュラフにもぐりこんでいたので、うるさいなぁと思いながら目を閉じていた。するとさっきから薄くラジオの音をかけていた単独行の人が、少しづつボリウムを上げて、下の騒ぐ音を威嚇するではないか。
一階の宴会たちが気付いて声を小さくすると、その人はボリウムを下げて聞こえるか聞こえないような音に戻す。落語の宿屋の仇討ち同様、また少しづつ盛り上がって声が大きくなるとラジオのボリウムも大きくなる。それが数回続いた頃私は眠りに落ちてしまった。その時の美空ひばりのリンゴ追分を子守唄にして。
この記事へのコメントはこちら