川西町上小松から米沢駅まで鉄道を通そうとした人がいました。
丁度福島米沢間が開通した明治32年のことです。その名も豊川炭鉱馬車鉄道、現在の飯豊町高峰から産する亜炭を小松に出して、それを米沢まで運ぶ馬車鉄道を計画したのでした。夢は小松を常磐炭鉱のような一大集散地にすることでした。
諸般の事情によりこの計画は頓挫してしまうのですが、今日この会社の社長をやられた蔵田さんの御宅にお邪魔してきました。
蔵田家は小松皇太神社の宮司しておられ、当代の蔵田国順さんと奥様にお話しを伺ったのです。いろいろお世話になりありがとうございました。
そして社長だった蔵田国治さんの写真と、豊川炭鉱馬車鉄道株式会社の仮株券を拝見させて頂きました。
いろいろなお話しを伺いながら、今から110年前の幻の大事業に想いを馳せたのは言うまでもありません。
調べ始めてここに来るまで、8年の歳月が過ぎてしまいました。
蔵田国治さんに会いに行って来ました。
2014.05.13:mameichi:[線路は続くよ果てまでも。]
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