大正8年の大火で神社もろとも焼失してしまいました。
設計は伊東忠太、この写真を見ると全体的には黒なのでしょうか?
しかもちょっと寝殿造りのように感じます。
伯爵邸は明治27年に二の丸寺院跡(減上杉記念館から)児童会館にかけての6千坪)に着工、29年6月に竣工しました。
その名を鶴鳴館と称され、東京からの移住費を含めて3万7千円かかったとのことです。
建物も今の造作とは違っており、庭の感じも違うようです。
しかも手前が田圃で苗を植えたばかりの季節でしょうか。
町の真ん中で米を作ってたのは昭和の40年代まで続くと聞いています。
そういえば、大正8年の大火の時に、洛中洛外図屏風とか、愛の兜とかはどのようにして持ち出され、火難に遭わなかったのでしょうか。その辺ご存知の方がいれば危機管理に役立つ情報になるのではないでしょうか。
その後再建された現伯爵邸は、小説家宮本百合子のお父さん中条精一郎の設計です。伊東忠太はそのときは上杉神社の設計を担当していました。
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