百貨店高島屋が京都に店を起こしたのが天保2年、養父の故郷が近江国高島郡だったために高島屋という屋号となったと書いてあります。
現在は高島市となりましたが、その中にマキノ町というところがあります。
マキノは見てのとおり片仮名です。
その由来は昭和4年に開業したマキノスキー場が有名だったため、昭和30年近隣4ヶ村が合併するときその名を取ったとしてあります。漢字の牧野だと一集落の意味しかないためだそうです。
また京阪電鉄沿線に牧野があるので、片仮名でマキノとなった、住民投票で決まったらしいなどと書いてあります。
安室奈美恵やSPEEDらを育てたのは沖縄アクターズスクールのマキノ正幸というひとです。この方は東映の監督マキノ雅弘の息子さんで、長門裕之・津川雅彦兄弟とは従兄弟にあたります。津川雅彦が映画を撮る場合はマキノ雅彦を名乗るのです。
長門・津川兄弟の母マキノ智子とマキノ雅弘は姉弟で、父は日本映画の父と呼ばれた牧野省三でした。大正12年に起こした会社がマキノ映画製作所、子供にも分かるようにということで、牧野がマキノに変わったのです。
昭和初期マキノ映画は阪東妻三郎などを擁し、子供にもメジャーな映画会社でした。だから昭和4年にオープンしたマキノスキー場は紛れも無くマキノ映画のマキノを戴いた名前だと思います。
東京の漫才でマキノ洋一・初枝のことは前に書きましたが、これは本名が牧野だとご遺族から教えていただきました。でもカタカナにしたのは多分、いやおそらくマキノ映画からではないでしょうか。
これと似たような話で、あちらこちらに国際何とかという遊戯施設があります。
たとえば国際スキー場、国際マス釣り場、国際劇場、国際プロレス、、、、
何となく全部小佐野賢治のものではないかと思っていたことがあります。
スキー場とマス釣り場は一部持っていたのかもしれませんが、劇場とプロレスは別物です。
この話はスキー場がキーワードですかね。
日本で最初の片仮名の町名マキノ町は、間違いなくマキノ映画が発端となってこの町名になったのだと私は思いますが、誰一人としてそういうふうなことを書いてる文献は今のところネットでは発見できません。
写真はベルギーのコーヒーに合うチョコとして作られたカフェタッセ。
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