明日は早く出ていくといったら、息子が目覚ましを貸してくれた。
時計の針はまだ1時。2時に目覚ましをかけていたのだが、さすがにあの音が鳴り響けばみんなに迷惑がかかる。まだ眠いがセットした時計を止めていざ、出発することにした。
珈琲屋さんの展示会が高崎であるのだ。息子の土産のリクエストは「だるま」。この約束が後半大きな足かせとなる。
通常のルートは高速で福島飯坂‐佐野藤岡からR50で約5時間の行程だが、私の場合はいつもの通り、会津西街道から日光、足尾を抜けて高崎に至るルートをひた走る。
日光に入ったのが4時30分ごろ。いいペースだ。あとはひと山越えて足尾より高崎は1時間半ぐらいなので、途中待避所で仮眠を取れるなどと考えていたら、目の前の電光掲示板に「桐生通行止」とある。
しょうがないのでかの有名な「いろは坂」を登り中禅寺湖に出て、金精峠を超え片品村尾瀬入口より沼田に出るルートをとったのだが、現在その辺の道路情報を見ても、全く通行止の様子はなく、実際はどうだったのだろう。
江戸時代であれば、たぬきに莫迦された気分なのだ。
いろは坂-中禅寺湖-戦場ヶ原-金精峠というのは初めて通るルートで、見事に観光地しているが、東北から行く人はあまりいないだろう。イメージからすると裏磐梯とかぶるのだ。
金精峠は学生の頃ボーリング工事のバイトで何となく聞き覚えがあるので、昭和の終わり頃来ているはずだが、全く分からなかった。間違いなく東京電力関連の仕事だったと思う。
途中1時間ほど仮眠、生き返る。
沼田に出ると17号線は利根川伝いに降りていく。川はまだ大きく濁っていた。
いつものところでご飯を食べる。
写真はいろは坂上、明智平から見た男体山。
続きはまた明日。
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