先日亡くなった前田武彦こと「マエタケ」さんは名司会者として鳴らし、その司会の後ろでバンドの指揮をしていたのがダン池田こと「ダンイケ」さんだ。
バンドや芸能の世界では名前を縮めて読むことがあり、小野満=オノマン、渡辺貞夫=ナベサダ、伴淳三郎=バンジュン、ダン池田=ダンイケとなる。
鶴田浩二=ツルコウというのは笑福亭鶴光師匠のネタだ。
さて、この二人が盛り上げた番組が今話題!!のCXの「夜のヒットスタジオ」だ。
幼稚園のころだが、多分毎週見ていたような気がする。コンピューター占いというのが面白かったのだ。
只、いま資料をひもといてみると、午後10時から10時54分の放送となっており幼稚園児がそこまで起きていたのかは全く怪しげな記憶でしかない。
それはそれとして、人気絶頂のころ「マエタケさん」は突然この番組に出なくなってしまい、司会者も変わってしまった。
母にマエタケは何ででなくなったんだ?と聞いたら、
「テレビでは言ってはいけないことを言ったんだ。」
何て言ったのかと聞いたら、
「共産党バンザイ!!といったからだ。」
ということらしかった。
そう言われてみると、「何かバンザイ」と言ったような記憶もあった。
それはしっかりとしたバンザイではなく、何かおざなりな付け足しのような感じだったような気がする。
ただそのことは辞めるちょっと前のことで、なんで今やめたのだろうと思った。少し時期がずれていたのだ。
そのときの映像は何となく心の中に残っている。もしかしたら事件になってから再放送されたものを記憶しているのだろうかとも思うが、そんな映像をもう一回流すほどテレビもバカじゃないと思うので、自分の記憶なのだろう。芳村真理が「またぁ~。」と濁すように受けたのではなかったか。
そして、マエタケさんは見事にテレビには姿を現さなくなった。
大学に入るため上京した時、部屋にテレビはなかった。ラジカセを持って行ったので関東ローカル各局のラジオ番組を聞くと、青島幸男、永六輔、前田武彦などのテレビ1期生の先生方がずらずら出ているではないか。
テレビがいつのまにか子供のオモチャになってしまった時、機を見るに敏な彼らはラジオというメディア、それも全国ネットではない場所で脈々と面白い話を続けていたのだ。
そして半年して質屋で安く手に入れたテレビを付けると、頭を五分刈りにした「マエタケ」さんが天気予報をやっていた。
彼が書いた「マエタケのテレビ半世紀」にヒットスタジオを辞める時の送別会の模様がこう書かれている。
突然、バンドリーダーのダン池田が立ち上がってしゃべりはじめた。
「ぼくは残念です。前田さん、大好きでした。いい演奏が出来たのも、前田さんのおかげです。正直でいつも本当のことをいう前田さん、別れるのが・・・・・悔しい!」
私は祝儀袋をテーブルに置いたまま、ダン池田に近寄って無言で握手した。握手では気持ちを表現しきれずに抱き合った。お互いに力いっぱい抱き合った。
その後マエタケさんが干された後、ダンイケさんも芸能界を干されてしまった。
原因は本人にもあるのだと思うが、芸能界というのは多大な功績があってもなくても、こういうことになっちゃう世界なのだなと、山本某や篤姫の旦那さんを見ていても思う今日この頃なのだ。
干されている間もマエタケさんの幕内での人気は確かなもので、立川談志、小林信彦、渥美清などの本当の笑いの識者の著作、発言に度々登場していた。
そのころ私は本当の彼の実力が分からなかった。
今はyoutubeという便利なものがあり、永六輔さんのラジオにでた「マエタケ」さんの亡くなる2週間ほど前の放送がとてもいいです。
ゲストのフォーク・クルセダーズの北山修との話も面白いので興味のある方は是非。実力の程がわかりました。
http://www.youtube.com/watch?v=vj5-ayNUIv8
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