慶応四年戊辰(1868年)1月、鳥羽伏見の戦いが戊辰戦争の口火を切る。新政府軍による会津攻略が始まり、盟友会津救援のため米沢など東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結び決起する。
同年5月米沢藩は色部長門を総督として越後へ出兵。
同年7月色部らは新潟港防備の任にあったが、陸海両面から進撃する新政府軍らの攻撃に合い、勇戦奮闘するも圧倒的に優勢な新政府軍の前に、色部は7月29日新潟関谷で壮烈な最後を遂げる。
この戦争で、色部は新政府に敵対した米沢藩の首謀者として責任を負わされて戦後処理され、藩の危機を救った。
昭和34年、当市市制70周年記念事業の一環として色部の武勇をたたえ、その大恩に報いるため色部長門顕彰会が追念碑建立を提唱、同年8月建立をみたものである。
その後会の合併により米沢御堀端史跡保存会が管理を継承している。
平成13年10月吉日
米沢御堀端史跡保存会
とあります。
知ってる方は知っておられるでしょうが、知らない方は全くどこにあるのか分からないと思います。
実はNHK米沢放送局の奥というか、上杉記念館の裏の脇というか、全く目立たないところにあるのですよ。
先週伝承館の茶室をイタリアの方と一緒に見る機会があり、その時なんか大きな石碑があると思い行ったらこの色部長門のものでした。
色部長門追念碑
2011.05.30:mameichi:[米沢城下に江戸を訪ねる]
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