というのは旧制一校の寮歌(明治35年)ですが、その5番目の歌詞の最後の最後に
♪魑魅魍魎も蔭ひそめ 金波銀波の海静か
というのが出てきます。
米沢の遊郭、新築には西側の端にその名も「銀波楼」という店がありました。
その写真が手に入りました。
多分明治30年代から40年ごろのものと思われます。
明治30年10月8日の米澤新聞には下記の通りが掲載されています。
●揚州の腰纏
米の高いのと世の不景気とは揚州まで響きて、遊客の腰纏まで軽くなりしとは左もあるべきことなり今、その先月中の景況をに記せば無事に苦しむ粋士連は矢倉炬燵温もりて雪見の暇にも見たまえかし。
○揚き(日偏に軍)楼3名、武蔵楼6名、松鶴楼5名、梅林楼10名、竹川楼5名、有明楼8名、銀波楼8名、小金楼3名、品川楼7名、、、
昭和に入ると、だいぶ名前が代わって金沢、昌平、甘水、朝日、住之江、新芳、丸喜、武蔵、東陽で戦前には大体廃業になったようです。
大正6年の大火で全て焼失していますが、自分が子供のころ残っていた建物も、この写真と大差ない感じがします。
こういったところは、だいたい造るパターンがあったんでしょう。
中野に住んでいた友人のふ付きの下宿は、どう見てももとはそういうところで、部屋のところに定員2名と書いてありましたっけ。
通常は2名でしょう。
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