今日は先日亡くなった、妻の祖父の四拾九日法要なので15時ごろから18時までの営業となります。
ご迷惑をおかけしますが何卒宜しくお願いします。
8月限定の葉月、夏限定の夏珈琲はあと2日で終了となります。
閑話休題、
米沢市で出している年表には、米沢で映画が上映されたのは明治32年7月15日立町米沢座というふうに掲載されています。
私がマイクロフィルムでみた米澤新聞によると、最早明治30年9月20日より米沢座にて上映しているようです。
なぜ32年というふうになったのでしょうか。
映画の始まりは、1891年かの有名なエジソンが覗いてみる方式の機械を発明したことに始まります。1894年(明治27年)にニューヨークに世界初の映画館(キネトスコープ・パーラー)が登場、ただしスクリーンに投影される方式は1895年(明治28年)にフランスのリュミエール兄弟によって発明され、多くの人が同時に映像を見ることが出来るようになりました。
本邦では、明治29年11月17日神戸の高橋新治が輸入したエジソンのキネトスコープを小松宮彰仁親王にお見せしたことから始まります。
そして明治30年2月15日、フランスから帰国した稲畑勝太郎がシネマトグラフの映像を大阪市戎橋通りの南地演舞場で上映し、好評を博しました。
日本初の「映画興行」である。3月6日には、東京市の「新居商会」によって、神田錦輝館で「電気活動大写真会」と銘打ち、ヴァイタスコープによる興行も行われました。
それから半年後に米沢で映画が上映されたことになります。
まあ、早いと言えば早いと言えますが、明治31年には駒田好洋が北海道の利尻・礼文島まで巡業していたことを考えると、めちゃくちゃ早かったとも言えないと思います。
リュミエール(=リシエルと新聞には書いてあるが、)の有名な映像、汽車が駅に着くシーンはテレビでも何回も見ていますが、まだ汽車も来ていない米沢でこれを見た観客はどう思ったのでしょうか。
やっぱり舞台に上がり、スクリーンをめくって「どういう仕掛けになってんなだー!」と叫ぶような人がいたのでしょうか。
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