噺家になりたいといったあの日。

  • 噺家になりたいといったあの日。
結局、ならない訳のものでありますが。

中学の3年の頃だったか、ナイターをみていた親父がお前は何になりたいのだと訊いたことから、話は始まります。

小学校のころから図書室に通いつめていた私は、落語の本を好んで読んでいました。
割と人と交わるのが苦手だった、というのもあるのでしょうか。このパーソナルな一人語りという手法がかなり自分にあっているような錯覚を憶えたのでした。
漫才も大好きでしたが、相方が必要ではあーりませんか。
今でもお客様とちょっと長話になると、この方の息ならば出来るのでは、などと考えている自分もいるのです。テンポとか声質とかね。

でまあそれはいいとして、だからといって噺を繰ったりすることもなく、只々テレビやラジオの演芸番組にストンと入っていきました。
小学生高学年からは、テレビでやっているものは殆んど見ていたし、ラジオを買ってもらってからは関東関西、随分いろいろなものを聴いていました。

今もあるのでしょうか、TBSの大澤アナが司会をしていた「爛漫ラジオ寄席」。あと今もあるNHK真打競演。
そのほかTBS川戸貞吉氏の「早起き名人会」、NHKの「演芸広場」(月~金の帯でやっていた番組)、ニッポン放送の朝5時からやっていたやつとか、文化放送もありました、大阪の放送局、朝から浪花節も随分聞きました。
そのころは、兎に角それを中心に生きていて、さんざん聴いていました。

で、何になりたいんだなんて親は聞きますよね。噺家になりたい。烈火のごとく怒りました、二人で。
何でこいつはこういう親不孝の子供になってしまったのだろう、多分軽い気持ちで聞いた親に軽い気持ちで話したのでしょう。
で、この様です。特に落ち込むこともなく、こういう反応というのも折込済でした。

実際本当になりたかったのかは、自分でもちょっとわかりませんが、その時は少なくともそう思った、正直に話した。

なりたいものなんてなかったのだが、言えと言ったから話したまでじゃないか、と前後が全く見えてない自分でしたが、それと同じことが数年後に再発します。

2010.07.27:mameichi:[あの頃]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。