といわれて、私は小柄な少年のようなサックス奏者に挨拶しました。
大久保のダクという管楽器専門店でだったと記憶しています。
丸君というプログレのサックス奏者のバンドを手伝いに行っていたときで、私と同じサシで入っていた東洋大グルービーOBのトロンボーンの庭山さんから「近藤君」を紹介されたんだと思います。
一寸話して、おんなじ大学4年ということ、最早ニューハードで演奏していることを教えてくれました。
本人がバンド名(ニュー・ハード)を分かっていなかったということが面白く、あんまりそういうことには興味ないんだろうなぁと、思わせました。
それからは各所で大活躍、昨日久しぶりに生のプレイに感激しました。
ちゃんと道を究める職人の顔になってました。
あれからもう25年、四半世紀になるのだなぁと、感慨ひとしおでございます。
こっちですか?こっちはまあねぇ、、、
tpは佐久間さんが一番旬な感じで、よく鳴っていました。
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