十田木松さんて、いったい

  • 十田木松さんて、いったい
誰なのかと思い、これを書いた息子に昨日問うてみました。
「いや、もうそれは終わったことだから」とつれないこと、この上ありません。

それで、一人で調べることにしました。
まず、十田という苗字です。読みは「じゅうだ」と書いてあります。

これを「とだ」とよませれば十田敬三という歌い手さんが検索できます。
♪今日もどこかでデビルマン~を歌った方で、ポス宮崎とコニーアイランダーズとか、ダニー飯田とパラダイスキング、高橋圭三事務所に入り根市タカオカルテットと、古い洋楽業界を渡り歩いてこられた方のようです。
敬三という名前も本名は「山崎 皓」なので、高橋圭三さんから頂いたものでしょう。
中西圭三との関係も気になりますが、とにかくこの人ではないので、先を急ぎます。

他に「チンしてこんがり魚焼きパック」を開発した小林製薬の十田哲郎さん、行政書士の方(この人の読みはじゅうだです。)、ジャッキー吉川とニューブルーコメッツのヴォーカル十田一平さんなどが検索できますが、この方も誕生日が1月23日なので別人です。
一平さんと前述の敬三さんの関係も気になりますが(業界がかぶってるような気が)、先を急ぎます。

木松というのも32歳にしてはかなり古臭い名前です。
宮城県登米市迫町佐沼の木松酒店(いつのまにか市に!)、広島市西区己斐本町の木松旅館が検索できますが、多分木村松蔵とか木島松三郎とかの省略ではないでしょうか。まあどうでもいいことなので、先を急ぎます。

では32年前は、、、
12月28日、田宮二郎自殺とあります。
この日のことは憶えていて、中学3年だったと思います。
毎日放送のスタジオ2時というワイドショウを、ばあちゃんと見ていました。
大阪のワイドショウをなぜ山形で中継していたのか分かりませんが、もう落語漫才のファンになっていた私は、努めてこういう番組を見ていました。


原稿をもらった司会の故森乃福郎の顔が急に青白くなり、田宮の死を伝えました。多分そのときは亡くなったというコールだったと思いますが、最早その時点で自殺と分かっているような雰囲気だった気がします。
私は京都府立鴨沂高等学校の後輩になるんです、と田宮との関係を森乃福郎は言っていました。
ちなみにこの高校からは山本富士子、団玲子、加茂さくら、大信田礼子、森光子、沢田研二、山崎正和を輩出しており、いわゆる名門校です。

随分先を急ぎましたが十田木松さんにはぜんぜん近づきませんねぇ、森乃福郎の師匠は笑福亭福松ですが。

ちなみに松の字は本人が書けなかったので、私が代筆しております。
代書屋は桂米朝の師匠、4代目桂米團治の作で当代は米朝の息子、、、

こんなんいうてたら、きりがありませんなぁ。







2010.05.18:mameichi:[家庭の事情は!]

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