この先生は、たまに歌謡ホールなどでお見受けしますが、歳は取っても無理なく唄い切る人だなぁ、と思っておりました。
引退の説明は17日になさるそうですが、天晴れというべきでしょう。
芸能の世界では仕事がなくなった老芸人でも、プロダクションに所属して、たまさかオーダーがあれば、その時だけはもっともらしい衣装を着て、声を張り上げ、しなを作り、見得を切ります。
だから引退できるというのは、かなりいろいろな状況が許すということではないでしょうか。
#&♭も華々しく昨年引退興行をやりましたが、新聞の下の方を見ると今年も営業を取ってんのね。
芸能というのはそういうものでしょう。そうであって欲しいと私は思います。
引退興行というのは、取り敢えず香典代を稼ぐぐらいの意味で考えるべきです。
浪花節といえばみなさんは「宮川左近ショウ」というグループを憶えていらっしゃるでしょうか。
「♪毎度 皆様 お馴染みの お聞き下さる 一節は 流れも清き 宮川の 水に漂う 左近ショウ~」
人間国宝の桂米朝師匠の噺ですが、、、
ある番組で田中角栄さんと一緒になったそうです、楽屋が。
多分首相になる前の噺でしょう、なってれば楽屋は一枚看板でしょうから。
なんかワイドショウかなんかのゲストだったらしいのです。
その時角栄氏が米朝師匠に合わせたのでしょうか、「私は浪花節が好きでねぇ。」と言ったそうです。
「先生はどなたが好きですか。」と尋ねたら「私は宮川左近が好きでねぇ。」
いろいろ聞いてみると左近ショウの先代の左近のことだったそうです。
「左近丸が今左近を継いでます。」というと「そうか、あの左近丸がなぁ。」
そこからが米朝師匠の面目躍如たるところで、左近節を角栄氏に一節唸らせるわけです。
「あの声だっしゃろ。なかなかのもんでしたよ。」聞いてみたかったですねぇ。角栄先生の浪花節。
新潟も三波春夫を出しているぐらいだから、浪花節にはうるさい土地柄らしいです。
私が中学生の頃、TBS製作の「爛漫ラジオ寄席」というので三遊亭円歌が洒落で三味線を付けて浪花節を唸りました。名前も廣澤なんとかとかいうことで口座に上がりました。
確か長岡とか高田とか新潟の下のほうの公開録音だったと思います。
外題は子別れ(下)だったと思います。
見事でしたねぇ、そんときの新潟のお客さんは。
どんなに熱演して山場に持っていこうが、一人たりとも拍手はしません。
円歌が「素人がこんなに汗掻いてんのに、、、」等という始末ですが、お客は下手なものは下手という態度を最期まで取り続けました。
そんなに悪くもないんですよ。
でも円歌より新潟のお客さんのほうに感情移入してしまった14の冬でした。
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