東京出張という心地よい響き。その5

  • 東京出張という心地よい響き。その5
後楽園に初めて行ったのは中学2年の修学旅行のときだ。
宿泊は大久保の笹川良一の海洋会館、でその時、後楽園には昼夜2回行った。
最初は遊園地で、夜に巨人戦のナイターだったと思う。

まだ日劇も国際劇場も健在だったが、そういうコースは時代遅れだったのでしょうか。
日光にも行ったのかなぁー。横浜は行ったなぁ。
遊覧船で安部君が白い無地の野球帽を海に飛ばした記憶は、なぜか今も鮮やかに記憶している。

で、昼の遊園地の時に球場のそばで人だかりがしていたので、隊列を離れ行ってみると、TBSの渡辺謙太郎アナウンサーだった。
そのころのTBS運動部のアナウンサーは早稲田野球部OBの渡辺、浪花節の廣澤虎造の息子、山田二郎が二枚看板だった。「謙太郎さん」「二郎さん」とおたがい「さん」づけで呼び合うのが、田舎物にとってはなんとなく都会的な感じがした。

それでなぜかサインを頂いたんだ。その時田舎の中学生は鉛筆しかなくて、しかもコクヨのメモ帳に書いてもらった。
「はぁー、鉛筆って書きやすいもんだね。」ちょっとざらっとした、少し高めの、滑舌のいい声で謙太郎氏は言った。
「ぼくらいつもボールペンしか使わないからさ、こりゃいいもんだねぇ。」
都会的で、親切でかっこいい。

ラジオでも人柄の良さは感じていたが、こんな中学生にもフランクに話しかけてくれる。
今、自分はそういう大人になれているのだろうか。
2010.02.22:mameichi:[そこいら辺を歩く]

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