街を俯瞰するシーンがあります。
一ヶ所は多分赤崩山から見た米沢(手前に松川があるので)、
そしていつも出てくる右側に小高い山があり、左手に街が開けているシーンがあります。
その小高い山が分かりません。只今残っているところのイメージからすると、山形銀行裏の西條天満宮のある三の丸跡か、幸町の稲荷神社のある三の丸後なのでしょうか。
米沢は扇状地で、街中に邪魔になるようなものが本当に少ない町です。
しかもお城がかなり低い位置にある感じがします。まいづる幼稚園に子供を自転車で送っていくとき、どこからいってもあまりシャカリキになって漕ぐことがないような気がします。
大正6年の大火の時、上泉写真館が撮ったパノラマ写真はまだ三の丸の土手がかなり残っております。
その後随分削ってしまい、上記二個所以外土手として残っている場所はないようです。ただやっぱりアンタッチャブルな部分なのか、所々荒地として放置されているところもあり興味深いのです。
南部小学校南の専売公社跡地もそんな感じの場所です。
天地人の米沢で、
2009.11.16:mameichi:[米沢城下に江戸を訪ねる]
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