この善光寺如来像は現在安置されている米沢市八海山法音寺のhpによると「川中島合戦の際、謙信公に奉じられた信濃善光寺の御本尊である。仏教伝来と共に我国に伝えられた仏像として大きな魅力が感じられ、ドラマがある。」ということになる。
では現在長野の善光寺にあるのは何?ということになるが、まあいろいろあるのでしょう。
とにかく、謙信公が亡くなってからはその遺骸の右に善光寺如来、左に毘沙門天を守り本尊にして神聖不可侵の神域を形成していたということです。
明治維新以降米沢城より御廟に遺骸が移されると、善光寺如来と毘沙門天は法音寺に移りました。その後明治32年に上杉茂憲が同寺を訪れ、修繕のためと称し如来を東京に移しました。
その間長野善光寺より上杉家に返還請求があったのですが、様々な動きがあり長野に戻ることなく米沢に帰ってきたのが昭和4年のことです。
でも本当は上杉家が長野善光寺に一旦は戻すことを約束したらしいのです。それに米沢市側が猛反発。
そして多分米沢に戻す時の条件として、米沢市側は法音寺附近3万坪の買収(予算50万円)と百万円の予算で大伽藍を建設するということではなかったかと思われます。
かなり途方もない計画です。そのくらいぶち上げなければ長野に帰っていたんでしょうか。長野に帰る縁はなかったようです。
如来は戻したものの計画は遅々として進まない。金が集まらなかったのでしょう。そこで昭和8年、如来を東京に出開帳ということになりました。
これがそのときの写真です。さすが連合通信写真部、よく撮れています。
その時なんとヤクザの抗争に巻き込まれたりした奇想天外な椿事があり、命からがら米沢に戻った顛末は又機会があれば。
現在法音寺にて宝物展が行われていますので、興味のある方は急げ!!
20日まで。
なお善光寺如来尊は秘仏のため上杉家の当主のみが拝観できるとのことです。住職も見たことがないという話です。残念!
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