秋葉路や 駿河の国に茶の香り 流れも清き太田川 若鮎踊る頃となり 松の緑の色も冴え 遠州森町よい茶の出処 娘やりたやお茶摘みに
ここは名代の火伏せの神 秋葉神社の参道に 産声上げし快男児 昭和の御世まで名を残す 遠州森の石松を 不弁ながらも務めましょう。
廣澤虎造という人は、啖呵も節もいいが、なにせ声量に乏しい。これは浪花節語りにとってはその当時ある意味致命的でした。だから東京の寄席みたいなところはいい、お客さんが百から精々二百人だから。
但しそのころの浪曲の人気はそんな小屋では賄えない。両国の国技館を一杯にする、或いは浅草国際劇場。二千、三千という興行です。そんな時はピアノ線を張り巡らしてそれに声を乗せてPAの代わりにしたものだそうです。
でも通常は地方公演、いわゆるドサ廻り。こういう細工は出来ないので自分のノドが頼りです。
その後マイクとアンプとスピーカーが発達して、更にラジオの時代になります。そうすると声の大きさよりも、話の内容では虎造は負けません。一躍大スターとなります。
それと同様のことが海の向こうアメリカでも起きていました。20世紀に入ってニューオリンズで生まれたジャズはミシシッピーを遡りシカゴで花開きます。世は禁酒法時代、やっちゃいけないといわれると派手になるのが人情、酒を飲んでドンチャカ騒ぎをするホールもどんどん大きくなり、それに従ってバンドの人数もどんどん増えていきます。
その時テナーサックスをソロ楽器にしたのがコールマン・ホーキンスという親方。音色、音量共に完璧でその後ベン・ウエブスター、レオン・チュー・ベリーなどが追従しました。その時虎造同様、アイデアには優れているが残念ながら音量に欠けていたのがレスター・ヤングというサーカス出身のサックス奏者。ビリー・ホリデーなどの一部の識者からの支持はありましたが、よいマイクが出来た頃には麻薬でいい演奏が出来る体ではありませんでした。
虎造は長く絶頂期を務めるのですが、録音中声が出なくなり脳梗塞で人前での口座には立てなくなります。なにも話せずに、口上でお辞儀をするのみの引退の全国ツアーが組まれ、本人もつらい思いをしたことと思います。
但し、レコード、CD,カセットの虎造はいつも元気に明るい声でからっとした博打打ちの話を今日も聞かせてくれます。是非機会があれば虎造の石松三十石船道中で爆笑していただきたいと思います。
「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」「そうだってねぇー」これです!
ごぶさたでーす!
ちょうど昨日、小野ちゃんにこのブログをおしえてもらいまして、お邪魔しました。虎造とジャズの話がいい感じで絡まってますねぇ~。わはは~~!!
最近、こちらはジャズと歌謡曲や笑いネタをオリジナルで混ぜて平成のクレイジーキャッツみたいなユニット造りに燃えております。ジャンププルースをはじめ、エンターテインメントバンドを改めて見直して勉強しとりますの。ほいで羽衣時代もつい懐かしくなりまして・・・。
そちらでは演奏でもご活躍とのこと。いつかライヴも拝聴したいでーす!
最近、こちらはジャズと歌謡曲や笑いネタをオリジナルで混ぜて平成のクレイジーキャッツみたいなユニット造りに燃えております。ジャンププルースをはじめ、エンターテインメントバンドを改めて見直して勉強しとりますの。ほいで羽衣時代もつい懐かしくなりまして・・・。
そちらでは演奏でもご活躍とのこと。いつかライヴも拝聴したいでーす!
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